忠度(ただのり 系図(1))・・・平忠盛の六男。清盛の異母弟。優れた歌人でもあり藤原の俊成に師事していた。俊成が撰者を務めた『千載和歌集』には詠み人知らずとして さざなみは 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな の一首が掲載されている。西へ落ち延びる忠度が自作の歌をまとめたものを歌の師である俊成に託し都を落ち延びるシーンは憐れを誘う。
Galler1y2;「俊成忠度」他
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敦盛(系図(2))・・・清盛の甥で笛の名手。一七で一の谷に参戦。熊谷次郎直実に首を掻き切られ討ち取られる「敦盛最期」は討ち取った直実のみならず読み手すべての憐憫の情を強く揺さぶり、能「敦盛」、文楽・歌舞伎「一谷嫩軍記」等、後の時代にも様々な作品に転嫁された。
Gallery3;「敦盛最期」
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教経(のりつね 系図(3))・・・清盛の甥。知盛と並び、平家一門中でも剛の者として知られている。屋島,壇ノ浦の合戦で源氏方を幾度となく苦しめる。壇ノ浦の合戦では義経を追い詰め、追い詰められた義経は有名な「八艘飛び」で逃れる。敵の大将を仕留め損ねた教経は鎧を脱ぎ捨て、源氏方に名乗りを上げ、向かってきた豪傑二人(土佐住人安芸太郎、次郎兄弟)を道連れに海底へと沈んで行った。享年二十七。壮絶な死にざまである。
Gallery;「義経八艘飛」
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知盛(とももり ・系図(4))・・・平清盛の四男。「見るべき程の事は見つ、いまは自害せん。」という名セリフと共に乳兄弟伊賀家長と手を取り壇ノ浦の海の底へと沈んで行った死にざまは鮮烈で、後の「錨知盛」といった演目へと語り継がれてゆく。
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以仁王(もちひとおう・系図(5))・・・後白河天皇の第三皇子で高倉天皇の異母兄。同母妹には歌人として有名な式子内親王がいる。鵺退治で有名な源頼政と共に挙兵したが制圧され、非業の死を遂げる。失敗に終わったもののこの挙兵は後の平氏打倒の狼煙となる。
Gallery4;「以仁王」
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高倉天皇(たかくらてんのう・系図(6))・・・後鳥羽天皇の皇子で母親は清盛の正室時子の妹滋子。安徳天皇、後鳥羽天皇の父。幼くして帝位に就くが、権力は院政を敷いていた後鳥羽上皇の手にあった。平清盛の娘徳子(建礼門院)を中宮に迎えたことから清盛と義理の親子の関係になる。皇太子だった折に、庭の見事な紅葉を、雅を解さない下男が焚火の焚き付けし燗を暖めてしまった顛末が「紅葉焚(仕丁紅葉焚)」として画題によく採り上げられる。このエピソードからも政治的な能力というよりは温和な人となりが窺える。
Gallery6; 「仕丁紅葉焚」
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徳子(建礼門院 系図(7))・・・清盛と正室時子の間の娘。高倉天皇の下に入内し、安徳天皇を生む。壇ノ浦では入水するものの死ぬことが出来ず平家滅亡後の世を京の寂光院でわが子安徳天皇と一門の菩提を弔いながら余生を送る。
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小督(こごう・ 系図(8))・・・高倉天皇の寵姫。清盛に討たれた信西の孫にあたる。琴の名手として知られる。同じく高倉天皇の下に入内していた徳子(建礼門院)の父、時の権力者清盛の勘気に触れ内親王を生んだのち出家させられる。
清盛の怒りを恐れ隠遁した小督を帝の命で嵯峨野にて消息を突き止めた源仲国が、月夜の下うらぶれた庵に隠れ住んでいる小督の琴による「想夫恋」の音に笛の音を合わせる「小督仲国」の悲話は憐れを誘う。
Gallery5; 「小督仲国」
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