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小督仲国(こごう なかくに)

 小督は高倉天皇に仕えた女房で、容姿美しく、見事に琴を奏で、天皇の心を慰めた女性。それがどうしたことか内裏を離れ、嵯峨野の古びた庵に暮らしている。今日の嵯峨野は名所・旧跡が多く、多くの人々が訪れる観光地。が、当時は都の外れの地で、あまり人が訪れる事もない寂しい所であった(注②)。ここで小督は家の門を堅く閉ざし、それこそ息を詰めるようにひっそりと暮らしていたのである。
そもそも小督が高倉天皇の側近くにお仕えすることとなったのは、清盛の娘で高倉天皇の后徳子の配慮によるものであった。高倉天皇はこの以前に葵の前という女官を見初めた。が、世間(おそらく清盛ら平家一門)を憚り、どうしたものかと苦悩していた。この天皇の気持ちを察した葵の前は天皇の前から姿を消し、人知れず没したのだった。
葵の前の失踪に、高倉天皇は涙に暮れる日々であった。そんな悲しみに暮れる天皇のお気持ちを慰めるべく、中宮徳子が侍らせた女性が小督なのであった。小督の登場によって、天皇は憂鬱な日々から脱したのである。
実は小督という女性、天皇にお仕えする以前は冷泉少納言隆房に愛されていた。かくして天皇の御所に出仕することとなった小督は、隆房とはきっぱり縁を切ったのである。が、諦められないのは隆房で、未練断ちがたく何度も文を届けた。が、全く返事もなかった。隆房が詠んだ悲痛の歌が次である。

たまづさを今は手にだにとらじとや さこそ心におもひすつとも

(今は手紙を手にさえとらないおつもりですか。それほど心で思いすてても手紙くらいとってくだっさってもよいのに)

この冷泉隆房という人は、実は清盛の娘婿でもあった。清盛は天皇と小督、隆房のやり取りを伝え聞き、愛娘の徳子の夫高倉天皇のみならず、もう一人の婿隆房の心も奪っている小督は本当に良からぬ女性というべきと考えたのであった。

「小督の存在は全く宜しくない。宮中から去ってもらわねばならん」

さて小督は「私だけの事ならばどうということもないけれど、帝にご迷惑をお掛けすることにでもなれば、それはお気の毒ですから」と、ある夕暮れに秘かに内裏を出て、行き先も告げずに去ってしまった。
葵の前に次いで、小督にも去られた高倉天皇は終日涙で袂を濡らしつつ、月を眺めてはため息を漏らしていた。清盛はそんな天皇の様子を耳にし、「小督をお思いになられて心沈んでおられるとは。それならば考えがあるぞ」と天皇の周りから女房たちを去らせ、さらに御所を訪れた人々に圧力を加えたので、御所には誰一人立ち寄らず、一層さびしくなってしまった。全くたちの悪い嫌がらせをしたものである。
深まり行く秋、天皇は悲嘆の底にあった。まさに命も消えんばかりであった。ある夜、秋月を涙で曇らせていた天皇は「誰かおらぬか」と人を呼んだ。やや間があって弾正少弼源仲國が参上した。 
天皇は仲國にお尋ねになられた。

天皇 「その方は小督の行方を知らぬか」

仲國 「残念ですが、私にはわかりません」

天皇 「だが、私は小督が嵯峨野の粗末な庵に住んでいるという噂を耳にしたのだ。それを頼りに、仲國よ、何とか小督を探してみることはできないだろうか」

仲國 「いやはやそれは雲を掴むようなお話し。とても探せますまい」

天皇 「そうよのう・・・」

天皇の目からまた涙がこぼれた。

仲國は心の底からお気の毒に思った。しばし考えていた仲國は、はたと思い出した。小督が琴の名手であったこと、そして自分がかつて笛を吹いて合奏したことを。今宵、あの小督が美しい月を眺めながら、天皇のことを心に浮かべて琴を弾くこともあるやも知れぬ、いや心優しい小督という女性ならきっとそうするに違いない。仲國は天皇に向かってきっぱりと申し上げた。

仲國 「私、今から嵯峨野に参ります。ただ、尋ね当てたとしても私のみにては戯れ言と思われます。帝の御文を賜りたく存じます」

天皇 「もっともである」

天皇は文を認めて仲國に持たせ、「馬に乗って参れ」とおっしゃった。
名月が煌々と照らす中、仲國は従者二人を伴い、一路嵯峨野を目指して馬を走らせた。

小督が暮らす家は容易に見つからなかった。仲國の気持ちは崩れそうになったが、天皇の御心を思えばこのままでは到底戻れない。自らを励ましつつ、もう少し、もう少しと駒を進めた。
さて亀山付近に来たところで、微かに琴の音が聞こえたような心地がした。気のせいであろうか。耳を凝らして更に駒を進めていくと、それは紛う事なき小督の琴であった。琴は「想夫恋」という夫を思う楽曲であった。遂に仲國は小督の家を発見した。
仲國は家から出てきた女房に帝の御書を渡して、御所に戻ってくれるように頼んだ。しかし清盛を怖れる小督は当然これを拒否。小督は翌日洛外の大原に発ち、出家する心づもりであったが、美しい月の夜に昔を思い出し、今宵ばかりはと琴を弾いたのだった。それを昔馴染みの仲國に聞きつけられようとは夢想だにしなかった小督であった。
仲國は同道した馬寮の僕二人に守衛させて、自身は急ぎ内裏に戻った。
天皇は相変わらず悲しみの涙を浮かべつつ、仲國の帰りを待っていた。仲國は小督の文を天皇に渡した。ご覧なった天皇は意を決して「今夜の内に小督を連れて参れ」と命じた。綸言は何よりも重しとばかり、牛車を仕立てて小督を内裏に迎え、人目につかない部屋に住まわせ、その後は仲睦まじく暮らし、範子内親王を授かった。
しかし幸せな日々は長くは続かなかった。秘密は露見し、清盛の知るところとなったのである。清盛は小督を捕らえ、無理矢理に出家させてこれを追放。天皇はこの事によっても深く傷つき、寿命を著しく縮めてしまったのである。

小督は音楽のみならず、和歌にも長け、大変教養のある女性であったとみられる。それもそのはず、彼女の祖父は藤原信西(しんぜい)であった。信西は博覧強記の学識を以て、清盛と台頭に渡り合った、いわば「知の巨人」ともいうべき人物。ただ源氏の棟梁義朝(頼朝、義経らの父)とは反りが合わず、そのため平治の乱では非業の最期を遂げた。

 


小柄 無銘 後藤(後藤栄乗)
源仲国図
江戸時代後期 山城国
赤銅魚子地高彫色絵裏金哺
『後藤家小柄選集』所載 「六代栄乗」


清盛を恐れ嵯峨野に隠れ棲む小督を訪ねる仲国を描いている。

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目貫 際端割銘 元・廣(松下亭元廣)
金無垢地容彫色絵

光を湛えた華やかな金無垢地で描かれた王朝世界。
秋草を背景に表目貫には仲国の馬を、そして裏目貫には仲国の笛と小督が隠れ住んだ嵯峨野の庵の門扉を描き、
洒落た留守図となっている。

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