装剣小道具を楽しむために

Tsuba
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後藤 即乗 ・ 後藤 廉乗
Goto Sokujo ・ Goto Renjo

阿吽の諸相



@仁王図目貫 銘 鉄元尚茂(花押) (正楽) 縦約33ミリ


A麒麟図目貫 無銘後藤即乗 左右44ミリ


B双牛図小柄 無銘後藤廉乗 長さ97ミリ



C舞鶴図目貫 銘 菊岡光行(花押) 左右36ミリ

 装剣小道具には、主題となる霊獣や動物を対に表現したものがある。後藤家の二疋獅子と呼ばれる図柄がその例で、多くの場合、片方は口を開き、口を閉じたもう一方と視線を合一させる構成。そこには明らかに阿吽の相が示されている。
 寺院を守る目的で山門に立つ仁王像や、神社を守る意味から境内に座す狛犬も阿吽の相を示している。これにより装剣小道具の場合も、刀を身に着ける者の守護を意図して装飾したものであることは明確である。
 古代インドのサンスクリット語は、ア(a)の音にはじまりウン(hum)に終わるところから、仏教思想下において阿とは悟りを求める意識、転じて物事の始まりを意味し、吽はその結果得られた悟り、完了を意味している。これにより阿吽とは存在する全ての事象、森羅万象を指していると云われている。
古代インドの仏殿には、煩悩を打ち払うために金剛力士像が飾られていた。これが我が国に伝えられ、憤怒の形相顕著な仁王像となった。また、古代インドでは仏像を守る目的から二疋のライオン像が飾られており、これが獅子や狛犬の起源と云われている。
 ところが歴史を遡る中国の獅子や狛犬には、阿吽の相はあまりみられないのである。つまり阿吽の相を表わす獅子像は、我が国における特徴とも考えられるのである。そして、阿吽の相を示す対の像として描かれることが一般的となったのは江戸時代に入ってからのこと。例えば建造物では門扉や軒下の木鼻部分に獅子や鳳凰が、あるいは屋根上に鯱鉾や鬼瓦として存在感が強く主張されたのである。
 さて、後藤家が金工作品に阿吽の相を表現したのは、室町時代末の戦国時代。明日が見えぬ下克上の乱世であり、自らを守る武具に対して高い信頼が要求されたのは当然ながら、精神的にも守護の意識が求められていた。その視覚表現が阿吽の相であったことは間違いない。神獣では古墳時代のキトラ墳墓などに描かれている玄武、白虎、青竜、朱雀の四神が知られているが、後藤家は独特の意匠を施して這龍、獅子、蓑亀、猛虎、鳳凰、麒麟などの聖獣図を生み出し、いずれにおいても阿吽の相を表わすを常としたのであった。
 写真@の阿吽の形相を鮮明にした仁王図目貫は、江戸時代中期の鉄元堂正楽(しょうらく)の作。鉄を高肉に造り込んで迫力ある姿を浮かび上がらせており、ここには所持者の守護の意識が明確である。
 写真Aは後藤宗家八代即乗(そくじょう:一六〇〇〜一六三一)の麒麟図目貫。二疋の麒麟が重なるように構成され、背景を描かない目貫独特の表現方法ながら、神秘的な空間が生み出されている。深く沈んだ黒色の赤銅地は重厚な趣があり、表面は丁寧な仕上げで光沢強く、これに繊細な鏨が加えられて躍動感に満ちている。
 写真Bの双牛図小柄も後藤家独特の二疋が連れる構成で、十代廉乗(れんじょう:一六二八〜一七〇八)の作。これも阿吽の相を表わしており、金無垢地を写実的に高彫し、赤銅魚子地に据文象嵌している。
 写真Cの目貫は町彫金工菊岡光行(みつゆき)の作。華やかな金無垢地を贅沢に用い、打ち出し強くふっくらとした作としている。後藤家に倣っており、総体に風格が漂っている。同様にDの舞鶴図三所物も後藤家に倣った町彫金工の作。飛翔する鶴が鳴きあって互いを確認しているかのように、阿形の鶴と吽形のそれとを組み合わせ、詩情溢れる大空の風景としている。赤銅魚子地の高彫に金の色絵を施し、華麗でしかも繊細な構成である。
 写真Eも町彫金工で菊岡光利(みつとし)の作。題材も古典に取材した鳳凰で、長い尾を靡かせて美しい。
 写真Fは後藤家に学んで独立し蜂須賀家に仕えた野村家の、その流れを汲む野村正秀(まさひで)の作。猛禽の鋭い目と嘴、飛翔するその勇壮な姿を描いた作ながら、ここにも阿吽の相が示されている。



D舞鶴図三所物 無銘 小柄長さ97ミリ 


E鳳凰図目貫 銘 菊岡光利 左右40.5ミリ


F猛禽図目貫 銘 野村正秀(花押) 左右29ミリ


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企画 株式会社銀座長州屋  著作 善財 一
月間『銀座情報』(銀座長州屋発行)及び『装剣小道具の世界』 (里文出版発行『目の眼』)連載中 Copyright. Ginza Choshuya. Hajime Zenzai. 2011〜.