装剣小道具を楽しむために

Tsuba
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後藤 即乗
Goto Sokujo

群れる三十匹の獅子



三十疋獅子図鐔 銘 紋即乗 光孝(花押) 縦74ミリ

 獅子が古くから霊獣中の王と考えられていた背景には、ライオンという動物の厳然たる存在があった。古代、獅子の文様が中国を経て我が国に到達した頃はもちろんのこと、平安時代でも実在のライオンから抜け出せ得ず、鎌倉時代に漸く現代の獅子に近付いている。これについては十二世紀に描かれた京都高山寺伝存の『鳥獣戯画』などに見られる獅子図によって知ることができる。
 平安時代以前の獅子には、仏教においても同様だが、国家を鎮護する霊獣としての意味があった。古い時代の狛犬と平安時代以降の狛犬とを比較すると、次第に現代のそれに変化していることが分かるように、仏教思想と、それ以前から存在する神観念との、文化的習合がなされていく過程も獅子の図様から想像することができる。
 獅子像は室町時代後期の金工文化で大きく変化する。ここでは、仏教など思想的背景は希薄であり、むしろ武士の道具を飾る素材として、獅子の本質的豪華さを刀剣外装上に再現するという、美術的な面に重点が置かれていた。
 その意匠を手がけたのが後藤家初代祐乗にほかならず、以下代々の後藤家の工は、基本を祐乗のそれに置きながらも細部の描写に独自性を求め、時代に応じた風趣を作品上に映し出していったのであった。
 さて、刀装金工の華麗さを視野の中心に置くのであれば、桃山時代の作品を第一に考えることになろう。織田信長が進めた外国文化の導入と、それによって生じた国内における異風な文化の隆盛、黄金を多用した室内装飾に見られるような豪壮と奇抜の追求は、後藤家の作品群にも現われているのである。
 表裏にわたって三十疋の獅子を描き表わした写真の鐔は、桃山文化の影響が色濃く残されている典型的な作柄。獅子像は元和から寛永頃を主活躍期とする後藤宗家八代即乗(そくじょう:一六〇〇〜一六三一)の手になるもので、これが据文されている赤銅魚子地は後の後藤宗家十三代光孝の製作。
 漆黒の赤銅地は微細な魚子で絹目のような光沢を呈しており、主題の獅子の群像を際立たせる質感。黒は、それだけでは無彩色で、華やかさに乏しいが、金を複合させることによって華麗で重厚な趣が生み出される。これが桃山美術の一つの面でもあり、江戸時代に完成された武家の様式美は、このような色彩を下地とするものである。
 獅子が示す阿吽の相は、仁王像にみられるように仏教思想を背景としたもので、また、獅子と共に描かれることの多い富貴とも呼ばれる牡丹は、謡曲の『石橋』によって遍く知られるように、文珠菩薩による浄土思想の一面を表わしている。
 ところがここに見るような三十疋もの獅子の群像は、獅子を仏教思想の顕現とし、これを腰間にして仏教的な意味から自己を戒める、という目的のみがあってのものではないことは明白。同図になる目貫・縁頭・小柄・笄など他の装飾金具類と共に刀剣外装という美術作品を構築するために創案された、純粋美追求の結果である。
 獅子の姿形は総て異なり、躍動的なそれもあれば静かにうずくまるものもある。わずか二寸(約六十ミリ)四方の平面に、繊細緻密な、しかもすべて表情を変えて彫り描くという技術も然ることながら、絢爛という言葉を陳腐な意味にさえしてしまうほどの、純化された獅子の集約がここにある。



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企画 株式会社銀座長州屋  著作 善財 一
月間『銀座情報』(銀座長州屋発行)及び『装剣小道具の世界』 (里文出版発行『目の眼』)連載中 Copyright. Ginza Choshuya. Hajime Zenzai. 2011〜.