装剣小道具を楽しむために

Tsuba
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太刀師・応仁・古赤坂
Tachi-shi ・ Onin ・ Ko-Akasaka

菊花の意匠



@枝菊図鐔 無銘太刀師 赤銅魚子地葵木瓜形高彫 縦82ミリ


A枝菊図小柄 無銘古美濃 赤銅魚子地高彫金色絵 長さ95.5ミリ


B菊花図鐔 無銘応仁 鉄槌目地菊花形真鍮象嵌 縦96.5ミリ

 菊花の意匠を採る装剣小道具や武具は頗る多い。古くは平安時代の甲冑の飾り金具などにも菊唐草文がみられ、これと同趣の文様は時代の上がる古金工や太刀師(写真@)、美濃彫様式の鐔や小柄(写真A)にもある。鉄鐔をみると、透かしを効果的に採り入れた作(写真C・D)も多く、江戸時代においては、より多彩な意匠が創案されている。
 その背景には、菊水の言葉があるように、菊が薬種として利用され、秋を彩る植物としての存在以上に尊ばれていたという歴史がある。その意味で、菊水の家紋を風景に置き換えた図(写真F)は比較的分かり易い。この鐔では、水辺に咲く秋の花々の一つとして菊を捉え、大胆な画面構成で写実的に表わしている。鉄地を高彫とし、岩を中心に置いて揺るぎない大地の存在を鮮明にしている。
 写真@の太刀師鐔の枝菊は明らかに文様表現であり、鐔を装うために鐔の表裏と大切羽だけでなく、拵に装着した状態でもその効果が現われるよう耳にも同様の枝菊を廻らせている。現在遺されているのは鐔のみだが、元来は太刀拵全体が同作金具で装われていたもので、金などの色絵を施さずに古色溢れる赤銅の高彫のみとした印象は、いかにも堂々として重厚である。
 写真Aの美濃彫様式の小柄は、太刀師の風合いとは異なるものの古風な意匠になる文様表現である。咲き乱れる枝菊を唐草文そのままに組み合わせた枝葉と花が浮かび上がるよう、文様の周囲を極端に深く彫り下げた高彫としている。文様表現ながら立体感のある点が美濃彫様式の特徴である。
 写真Bは室町時代の応仁頃に製作されたことから応仁鐔と呼ばれている鐔で、鉄地に真鍮の点象嵌や線象嵌が施されているところが特徴。鐔全体を菊花形に造り込んでいる点は、後の菊花透鐔の祖形の一つとも言い得よう。
 江戸時代の透鐔は、心象的な図案構成になるものが多い。これらの意匠は室町時代の正阿弥派や尾張などの透鐔に遡り、多様化していた家紋とも関わりをもちつつ、構成美と洗練味が高められていった。
 葉を陰に意匠して菊花形の透しの中に配したのが写真Cの時代の上がる赤坂鐔。細い線で切羽台と耳を繋ぐ放射状構成は、車透図などにもみられ、古くは甲冑師が得意としていた。この鐔では、地鉄の無骨さを覆い隠すように洒落た美観を追求している。
 記内(きない)派は越前に栄えた鐔工で、様々な意匠を鐔という空間を借りて表現したことで広く知られている。武士好みの骨太な図や瀟洒で垢抜けた図もあるが、写真Dは奇を衒って鐔の形を上下左右に張らせた糸巻風の角形とし、菊の花を透かし抜いてその造形を際立たせた作。言わば簡潔な陰影による平面構成である。
 幕末の岡山金工雪山(せつざん)の、極めて奇抜な意匠の鐔が写真E。鐔全面に菊花が押し合うような意匠とし、素銅地を鋤き下げ、花弁が筋立って流れるように、あるいは絡みあうように、そして渦巻くように、生命の根源がここにあるかのように表現している。彫り口が深く鋭く、花弁を強調する目的から彫り込んだ部分に黒漆を塗り込んでおり、これによって鎌倉彫のような木彫を彷彿とさせる、新味ある趣となっている。


C菊花透図鐔 無銘古赤坂 鉄地菊花丸形毛彫地透 縦81.5ミリ


D菊花透図鐔 銘 越前住記内作 鉄地糸巻形地透 縦93.2ミリ


E菊花図鐔 銘 備藩正渡雪山七十一才 素銅地竪丸形鋤彫 縦71.5ミリ


F菊水図鐔 銘 長陽萩住友道作 鉄地撫角形高彫 縦84ミリ


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企画 株式会社銀座長州屋  著作 善財 一
月間『銀座情報』(銀座長州屋発行)及び『装剣小道具の世界』 (里文出版発行『目の眼』)連載中 Copyright. Ginza Choshuya. Hajime Zenzai. 2011〜.