装剣小道具を楽しむために 40

Tsuba
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土屋安親
Tsuchiya Yasuchika

鄙なる風景の発見


 

 
曳牛図鐔 銘 武州住安親(花押) 赤銅石目地丸形高彫色絵金覆輪 縦81.3

 土佐派の流れを汲む住吉具慶(一六三一〜一七〇五)は、父如慶と共に源氏物語などの古典文学の場面を写実的に表現するという独特の大和絵を創意した徳川家の御用絵師。如慶の伝統的な王朝世界の再現に比して具慶の絵画は、桃山時代に隆盛した洛中洛外図などにみられるような街中の風俗や農村に取材した人物のいる風景に視点を置いた作品があり、対象が鄙の場面へと広がりを見せている。
 この流れが絵画表現全体のものであることは、英一蝶(一六五二〜一七二四)など町人の支持を得た絵師にも、風俗や鄙びた空間に題材を求めた作品が数多く遺されていて明白である。
 同時代を生きた土屋安親(一六七〇〜一七四四)は、これまでも紹介してきた通り、幅広く題材を見出していた金工である。古典的な文様から山水画、歴史や伝承を下地とした人物画、江戸好みとも言い得る新たな文様の創造など、表現世界を多彩にした刀剣金工デザイナーでもあろうかとかつて述べたが、この安親にも、鄙びた山里に取材した作例がある。
 安親の頃までの刀装具の画題は、多くが古典的文様、禅画、和漢の歴史や伝説に取材して武士の規範や戒めなどを暗に示した図、あるいはその美意識を映し出す伝統的な図。つまり何かしら意味を秘めていたとも言え、それが刀を装うことの理由の一つでもあった。
 ところが、ここに紹介する鐔の図からは武士の姿が浮かび上がってこない。描かれているのは牛と、これを引き立てようとしている農夫で、遠く山陰を臨み、裏面には細波の立つ湖水が広がり、ここに古式の大和絵、山水図を下敷きにしている点が窺いとれる。
具慶が描いた農村風景図にはしばしば牛が登場する。例えば車を引く牛、牛飼いに追われる牛、野に草を食む雌雄の牛などで、いずれものんびりとした姿が描き表わされている。
かつて絵画は貴族のものであり、農村に働く人々の様子も貴族の目を通して眺めた風景の要素の一つであった。それゆえに鄙びた中にも美の要素が見出されており、これを受け継いだ具慶の農村の風景も少なからず美的な展開がなされている。
 ところが、この安親の鐔には農村の一場面が描かれているものの、具慶の絵画のような貴族的な視線は窺いとれない。むしろ、人間が人間らしいところを垣間見せるその瞬間を、彼らと同じ目の高さで的確に捉えているのである。まさにスナップ写真の思考と画面切り取りの方法である。
 うずくまった牛はどんなに強く綱を引いても動こうとせず、とはいえ投げ出すわけにもゆかず、農夫は泣き出しそうな顔つきで歯を食いしばり、弓反りに踏ん張っている。その表情が鮮明に映し出されているのである。
 ここには、それまでの金工作品にはなかった滑稽味と人間性の要素が感じられよう。因みに具慶の農村図にも滑稽は窺いとることはできない。これに対して町人の意識を反映した一蝶の作品には滑稽味横溢の作品が多い。狂歌や俳諧の流行も絵画や金工の表現には少なからず影響しているのであろう。時代相がうっすらと浮かび上がって見えてくる作品でもある。
 漆黒の赤銅地を厚手の丸形に造り込み、量感のある高彫に金・銀・素銅の色絵を施して牛は骨太な表現、人物は朧銀地でこれも肉高く立体的である


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企画 株式会社銀座長州屋  著作 善財 一
月間『銀座情報』(銀座長州屋発行)及び『装剣小道具の世界』 (里文出版発行『目の眼』)連載中 Copyright. Ginza Choshuya. Hajime Zenzai. 2009.