装剣小道具を楽しむために 39

Tsuba
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土屋安親
Tsuchiya Yasuchika

町彫金工の視点





@牧童に暴れ牛図小柄 銘 東雨 赤銅魚子地高彫金銀色絵 長さ96.1ミリ (モアレが生じています)



A月見舟図小柄 銘 東雨 赤銅魚子地高彫金銀色絵 長さ97ミリ (モアレが生じています)

 これまでたびたび、土屋安親(一六七〇〜一七四四)について触れてきた。古典的絵画に倣った作、斬新な文様表現、琳派を視野に捉えつつもそれらとは異なる感覚によって文様化した風景図など、例を挙げれば切りがない。だが、最も興味深いのは、装剣金工の表現域に、武家の意識を超越して人間味を感じることのできる光景に視線を向けた作品が多く見られることである。
 例えば、どっしりと座り込んで動こうとしない牛を起こそうと綱を引く農夫の姿が、今でいうスナップ写真の手法で捉えられた鐔がある(40鄙なる風景の発見参照)。つまり、伝説や歴史上に名を残した過去の人間ではなく、目の前の、あるがままの人の姿を描き表わしているのである。
 決して特殊な出来事を取材したものでもないし、ニュース写真などのような決定的瞬間といった場面ではない。むしろどこにでもありそうな光景を、コミカルに描いているのである。
 牛曳図鐔に描かれている状況に類似し、しかも同じような笑いが感じ取れるのが、走り出した牛を引き止めようとしている牧童の姿を捉えた写真@の小柄。横長の画面を巧みに利用し、必死に手綱を引く牧童と、地面を強く蹴ってあらぬ方向を目指す牛を、これも、良く見かける小さな出来事といった視点の広がりで表現している。
中央に真横に構成された綱が緊張感を生み出しているが、頭を下げて猛進する牛の表情、引きずられる二人の牧童の歯を食いしばる表情もそれを和らげ、画面に微笑ましさを与えている。
 写真Aの小柄は、商家の大旦那であろうか、月見の舟遊びに興じている場面に取材したもの。これも特殊な出来事が描かれているわけではない。供の小僧を従えて満月を眺めて笑みを浮かべる旦那と、ひたすら櫓を漕ぐ褌姿の舟頭だけで、いかにものんびりとした時間の流れを感じさせるものである。
 英一蝶(一六五二〜一七二四)が描いた町人世界や、遊里の様子、田舎の風景なども安親の図の下地としてあり、装剣金工におけるこのような主題の採り方こそ安親に始まる。安親が市井の人々を対象に美の本質を展開した、町彫金工の初祖とも言われる理由である。
 因みに、同じ年に生まれた横谷宗a(一六七〇〜一七三三)も町彫金工の祖の一人とされるが、後藤を意識した豪壮華麗な作風を基本としており、安親のような、人間そのものに視点を置いた作品はみられない。特に安親のこの類の作品の骨格を成す滑稽や軽味は、他の金工には見られないのである。
 この後に続いた町彫金工を眺めると、一宮長常(一七二一〜一七八六)が動感のある片切彫を駆使した祭などの風俗図を得意とし、岩本昆寛(一七四四〜一八〇一)は川辺に生きる漁師に取材し(16江戸前に生きる漁夫参照)、鉄元堂正楽(〜一七八〇)もまた夕立に遭遇した人々の様子など日常の一場面を描いた作品を遺している。
 いずれも特別ではない、どこにでもいる人々に視線を向けることに意味を見出したもので、後のヒューマニズムの萌芽として捉えることができよう。
 ここに紹介した二作品はいずれも赤銅魚子地を丁寧な彫技で高彫とし、金銀の色絵を施した造り込みである。


注…作品の表面が均等に揃った点や線の連続である場合、パソコンなどのモニターで鑑賞するとモアレが生じて不鮮明になることがあります。ご容赦ください。


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企画 株式会社銀座長州屋  著作 善財 一
月間『銀座情報』(銀座長州屋発行)及び『装剣小道具の世界』 (里文出版発行『目の眼』)連載中 Copyright. Ginza Choshuya. Hajime Zenzai. 2009.