装剣小道具を楽しむために 37

Tsuba
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府川一則
Fukawa Kazunori

豊穣の秋色



@団栗に栗鼠図目貫 無銘古金工 赤銅地容彫金色絵 40ミリ



A栗に吹寄図目貫 銘 庚申卯月一則 金無垢地容彫赤銅素銅置金 左右60ミリ 写真表裏


B団栗図三所物 無銘野村 赤銅魚子地高彫金色絵 小柄96.5ミリ (モアレが生じています)

 縄文時代の文化が見直されて久しい。かつて、縄文人は貧しい生活をしていたと考えられていたが、現在ほど人間が多くもなく、海山の自然の恵みが豊富であるところから、必要以上の備蓄をせずとも充分に冬を越すことができ、それ故に食物を奪い合う争いが起こらない。このような縄文時代の豊かさを如実に証明する、栗の実などの遺物が各地で発見されているのである。
 その後大陸から移住してきた人々が創り上げた我が国土は、縄文時代の文化をそのまま受け継いだものではないが、彼らは四季の変化の顕著な自然風土が生み出した様々な産物をこの国固有の美の要素として採り入れ、さらに美学として結晶させ多くの器物や絵画に表現している。
今回は、縄文時代には主たる食物として採取された晩秋の色ともいうべき木の実と、これに群がる小動物が織りなす自然の光景、我が国の豊穣の秋を象徴する団栗などの実を題に得た装剣小道具三題を紹介する。
 写真@は桃山時代の目貫。赤銅の黒と金の組み合わせで、団栗と栗鼠が量感ある高彫表現とされている。団栗はクヌギ・コナラ・シイなどの実の総称だが、ここでは団栗を象徴的に捉え、江戸時代に隆盛した精密描写に至る以前の、豪壮華麗を追求した桃山時代らしい構成とされ、古典的な表現ながらふっくらと彫り描かれている。これを頬張る栗鼠の姿が愛らしい。
我が国の自然の有り様をそのまま眺めた、作者の視線の行方が明確な作であり、その背後には、自然の恵みを取り入れることによって長寿を得るという太古の時代から続く東洋的な自然観が窺いとれる。
 写真Aは幕末頃の江戸金工府川一則(一八二四〜一八七六)の、正確な構成で精密な彫刻表現になる、落ち葉に栗の図目貫。金無垢地を大振り厚手に造り込んで量感のある肉取りとし、夏の陽を浴びて大きくふっくらと育った栗の実をそのままに打ち出し、素銅と赤銅の置金(おきがね)が巧みに配され、精妙な鏨によって栗の実の肌合いとイガの質感が実体的に再現されている。殊に栗特有の光沢を呈する殻に妙技が示されており、指先に触れ、あるいは摘んでみたくなるような実物そのもの。
これと共に彫り描かれているのは落ち葉。種々の樹木の葉がどこからともなく風に乗って舞い寄り、木陰を彩ることがあるが、この鄙びた中にも雅趣漂う空間を、自然を超越した視線で捉えたのが吹き寄せの語。栗の実に枝葉、下草のシダ、銀杏、紅葉、クヌギなどの葉の、色合いや葉脈の線だけでなく、葉の厚さやしっとりとした質感が見事に再現されている。
近代芸術の先駆けとも言うべき、江戸時代中期の円山応挙が起こした写生と精密画の流れを受け、立体的な表現を可能とした金工彫刻ならではの、奥行き感のある空間構成が突き詰められた作品である。
 写真Bの小柄・笄・目貫の三所物の図はコナラであろうか、紅葉しつつある葉の様子と、落ちかかった実の様子が写実的に彫り描かれ、霜降りて北風の強く吹き抜けてゆく、冷え寂びた空気が表現されている。
赤銅魚子地を高彫とし、金と赤銅の黒のみの組み合わせで、優れた構成感覚が示されている。この金工は後藤家に学んだ阿波野村派で、武家らしい格調高い光景を捉えている。

注…作品の表面が均等に揃った点や線の連続である場合、パソコンなどのモニターで鑑賞するとモアレが生じて不鮮明になることがあります。ご容赦ください。


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企画 株式会社銀座長州屋  著作 善財 一
月間『銀座情報』(銀座長州屋発行)及び『装剣小道具の世界』 (里文出版発行『目の眼』)連載中 Copyright. Ginza Choshuya. Hajime Zenzai. 2009.