装剣小道具を楽しむために 32

Tsuba
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蝦夷金具(古金工)
Ezo-Kanagu (Kokinko)

蝦夷金具の魅力



@野瓜図目貫 無銘蝦夷 室町時代 表49.5ミリ 裏50ミリ



A耳長兎図目貫 無銘蝦夷 室町時代 表92.5ミリ 裏89ミリ

 蝦夷と呼ばれる不思議な風合いの装剣金具があり、また、これを用いて装飾した拵がある。武士の備えとされた拵には、その行動を戒める図柄の描かれている金具などが用いられたが、これらとは趣を異にし、立体的で複雑な唐草文様などが装飾の要とされており、文様が賑やかな割りに質素な出来である。
 この風合いが蝦夷地の人々の好みに適合したとも考えられているが、製作したのは蝦夷の職人ではなく、諸工作技術が集まった京都周辺、近世においては江戸の金工であった。
間々見られる蝦夷拵は短刀を収めたもの。様式は南北朝時代に流行した腰刀を基礎としていることから、また、太刀を収めた拵も同様に打鮫と呼ばれる鮫皮を模した凹凸のある薄い金属で覆われた鞘や柄を供えている例が多いことから、南北朝時代から室町時代にかけて、交易品として蝦夷地へ渡っていたものであろうと推測されている。
 室町時代も降ると、蝦夷地との交流が盛んになり、また移住する者が増え、それに伴って交易も一層増えている。江戸時代には武器類の輸出が禁止されたが、密貿易により、あるいはまた工作用の小刀や包丁類はその範疇になかったためか、実用具として近世末期まで蝦夷地に供給されていたようである。
 蝦夷の金具の特徴は、山銅(粗製の銅)や素銅(精錬された銅)などを極端に薄く打ち出して立体感のある高彫とし、表面に薄い金や銀の色絵を施している点。製作された当初は金の輝きがあって鮮やかであり、また華やかであったと思われるが、使用過程で色絵が剥げ落ち、あるいは酸化皮膜により、表面に色斑が生じたものが多い。
 この表面状態は、言うなれば道具が示す実用の証し。実用を無視して製作した装飾性のみを追及したものとは異なり、戦国時代以前の鉄鐔や古金工と汎称される名もなき諸工の手になる、道具が辿ってきたそれと同様の状態に他ならない。
 蝦夷地に運ばれた拵が、長い間実用とされ、彼の地で金の色絵が剥げ変質して江戸の人々の前に現われたとき、人々は驚きの目で迎えることとなった。江戸時代の数奇者は、この手垢が付いた、あるいは手擦れによって変色した金具に美観を見出したのである。かつて、朝鮮で使用されていた茶椀に美を感じとり、侘茶の世界に新たな空間を展開したと同様、それまで粗末な道具の域を出ない物として意識の端に追いやられていた蝦夷金具が、特殊な美の次元で見られるようになったのである。創造性を越えたところに美が潜んでいたからに他ならない。
 写真@は、瓜の蔓草と赤く熟れて割れた実を唐草状に表わした目貫。色斑のある山銅地を大振りで打ち出し強くふっくらとした造り込みとし、際端を打ち返して絞り、表面には素朴な毛彫を切り施し、金の色絵をごく薄く施し、文様の周囲を透かし抜いて鮮明にしている。仔細に観察すると、実の表面が所々擦り減って小孔が開いていることが分かる。これこそ、元来薄手に仕立てられた証しであり、抜け穴と共に大きな見どころである。
 写真Aは耳長兎図目貫。これも同様に薄手の肉高な造り込みで、表面には簡素な毛彫を加え、さらに金の色絵を全面に施している。やはり時を経て表面が擦り減って地金の斑付いた色が覗える。これも使用により、小さな穴が生じている。
 いずれも製作したのは、現在では古金工と汎称されてい歴史に名を残すことのなかった諸工である。


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企画 株式会社銀座長州屋  著作 善財 一
月間『銀座情報』(銀座長州屋発行)及び『装剣小道具の世界』 (里文出版発行『目の眼』)連載中 Copyright. Ginza Choshuya. Hajime Zenzai. 2009.