装剣小道具を楽しむために 31

Tsuba
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後藤乗真・古後藤
Goto Joshin ・ Kogoto

瓜の夏



@野瓜図二所物 無銘後藤乗真 赤銅魚子地高彫金うっとり色絵 小柄左右93ミリ


A南瓜図笄 無銘古後藤 赤銅魚子地高彫金うっとり色絵 文左右65ミリ


B苦瓜図笄 無銘後藤乗真 赤銅魚子地高彫金うっとり色絵 文左右75ミリ

 日当たりの良い土手に蔓を伸ばし一面に葉を茂らせる瓜。烏瓜の呼称でも知られるように自然風景を彩る要素としてみられる野瓜は、種を蒔くことがなくとも、こぼれ落ちた種が翌年に芽吹いて成長し、木々を装う。野趣ある瓜の成長の様子は、自然界が持つ生命の力を視覚に訴えかけているようでもある。
 「唐草が秘める渦巻の力」においても紹介したが、唐草文は生命力の象徴である。蔓草の伸びる様子が唐草文の素地として存在したであろうことは、容易に想像できる。宙を探るように蔓先を延ばして自らの成長点を木々に求める。動物の触手のようでもある。
 毎年繰り返される成長と枯朽は永遠の生命を暗に示しているが、真夏の日差しを受けて瑞々しい蔓を伸ばす蔓の先端には確かに現時点での生命力が感じられ、装剣小道具にこの図が好まれて採られた理由も想像できる。藤や葛、蔦などの蔓性の植物が装剣小道具の画題に採られる理由も同じである。
 また、甘い果汁を蓄える瓜は、炎天下に乾いた喉を潤す恵みの果実。このような生命の永続に必要不可欠な水への想いも、装剣小道具という形を借りて表現されたのであろう。
 ところが平安時代には、食用とされる植物には雅趣が感じられないことからであろうか嫌悪される気風があり、『源氏物語』の夕顔の段では、夕顔が貧しさの象徴として捉えられ、話中に印象深く採り込まれている。夕顔の花しか扇に添えることのできない女性という意味が示されているのである。
 確かに、夕暮れ時にみせる夕顔の風情は寂しげであり、京の街中にあって他の夏の花々と咲き競うよりも、むしろ野にあって映える素朴な花の印象が強い。瓜の花も同じ風合いがある。
C

 写真@の二所物に描かれているのは瓜。熟れて割れそうにふっくらとした実の横たわる様子が、実体的な量感のある手法で高彫とされ、金の薄板でうっとり色絵が施されている。複雑に出入りする特徴的な葉と花弁は抑揚のある高彫とされ、葉脈と実の筋もくっきりと施されている。瓜の表皮が破れているのは表現によるものではなく、薄い金の板を被せた古法に拠る色絵だが時を重ねてこれが擦り減り、下地が露出したもの。この擦り剥がしの表情も、瓜が持つ素朴な味わいに調和して情感を高める要素となっている。製作は後藤宗家三代乗真(一五一二〜一五六二)と極められている。
 写真Aに描かれているのは南瓜。地を這う蔓と茂る葉の間に見える独特の実が、これも量感のある高彫に金の色絵で表わされている。色絵の手法は薄い金板を被せるうっとりで、その一部が擦り減って地が露出しているが故に、まるまるとした南瓜の様子が一際強く浮き上がって見え、蔓の伸びる様子も躍動的に描き表わされている。製作は桃山時代以前の後藤家、古後藤と極められている。
 写真Bも後藤乗真の作で、主題はゴーヤーとも言われる苦瓜(にがうり)、古くは茘枝(れいし)と呼ばれた南国産の瓜の仲間。極肉高の彫刻表現と金の色絵で、ここに苦瓜が存在するかのように、立体表現されている。竹垣に這う蔓と茂る葉の間に、花、花をつけた実、今が食べごろにまるまるとした実、中ほどにはその実が熟して割れ、中から色付いた種が弾けるように露出した様子までも、丁寧な鏨使いで彫り描かれ、金の薄板を被せる手法で豪壮華麗に色絵表現されている。
 因みに苦瓜には薬効があり、夏場の食欲増進にも役立っている。装剣小道具の装飾文様には薬種の類が多く、本作も標本的な例と言えよう。

C源氏物語夕顔図笄 無銘古金工 赤銅魚子地高彫金うっとり色絵


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企画 株式会社銀座長州屋  著作 善財 一
月間『銀座情報』(銀座長州屋発行)及び『装剣小道具の世界』 (里文出版発行『目の眼』)連載中 Copyright. Ginza Choshuya. Hajime Zenzai. 2009.