装剣小道具を楽しむために 29

Tsuba
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利壽・東龍斎清壽
Toshinaga ・ Toryusai Kiyotoshi

補作の意味 宇治川合戦図縁頭




      

宇治川合戦図縁頭 
縁 銘 利壽(花押) 赤銅石目地高彫色絵 江戸時代中期 39ミリ
頭 金象嵌銘 阿佐美君得利壽作宇治川縁妙品可言需托余副裏忠則副是壽叟(花押) 
赤銅石目地高彫色絵 江戸時代後期 34.5ミリ


 木曽義仲軍と義経・範頼軍の、宇治川の合戦場面に取材した縁頭。源平動乱の世に名を成した武将の姿は、同時代の浄土思想を背景とする『平家物語』に、その行動原理と共に鮮明に焼き付けられている。江戸時代の武家に仕えた金工は『平家物語』を通して武士の戒めを作品に示しており、この縁頭の畠山重忠(しげただ)活躍の図もまた多くの意味を内包しているのである。
 製作は、縁が奈良三作と尊称され、町彫りの祖の一人にも挙げられている名工利壽(一六六七〜一七三六)。頭は、この縁に題を合わせて彫刻を試みた幕末の名工東龍斎清儔(一八〇四〜一八七六)。明治維新の直前、阿佐美氏(あざみ:注@)が舞鶴講と呼ばれる江戸の代表的刀剣会において利壽の縁を入手し、後に親交を深めていた清壽に頭の製作を依頼したものであり、その旨が頭の内側に平象嵌で記されている。同じ合戦の場面を題に得ているものの、決して補作ではなく(注A)、むしろ利壽の縁を素材に、清壽が自らの技量を以て挑んだ稀有の力作であり、模倣を拒否した清壽の独創性が展開されているとともに、作品に向かうその真摯な姿がこの縁頭から窺いとれる。
 縁は後藤家の作風を強く意識して製作したものであろう、赤銅地を肉厚く仕立て、量感のある高彫に金銀素銅の色絵を施し、人物の表情も険しく、細密描写で合戦場面を活写している。背景の縮緬状の石目地は微細な半円形の連続によるもので、これが叢に広がって早春の朧な空気をも想像させる。先陣を争って渡河を試み、濁流に流されそうになった大串重親(しげちか)と、これを助けた馬上の畠山重忠を肉高く彫り出し、金銀の色絵を華麗に配している。殊に顔の描写には奈良派の特徴的な険しさが感じられ、きりっと上がった目尻や左右に張った鷲鼻などにも特徴が現われている。波は古典的な文様表現を内に秘めて鮮やか。三角波と呼ばれる頭の尖った波に立浪を交え、飛沫は微細な銀の点象嵌で表わしている。甲冑具足の要所に刻された鏨は深く強く、図像全体に活力を与えている。
 これに対して、頭には江戸時代中期以降に絵画表現に大きな影響を与えた琳派の作風が窺いとれることに注目したい。施されている石目地は複雑な形状で叢に変化しており、これは背後に広がる空間表現を目的としたもの。遠望の山並みには薄肉彫に金の平象嵌で木々が描かれ、迫る雲は素銅の色絵、前景となる主題と石目地の空間を隔てることにより主題が鮮明となり、実在感が高まっている。波の表現も琳派のそれで、渦巻く様子を曲線で表わし、流れを突き切る様子を激しい立浪で視覚化させており、この場面を、この風景を、さらには背景となるこの状況をも文様の要素として全面に散らし、主題を装っているのである。後に、馬を担いで一ノ谷を降ったという畠山重忠の武勇伝をこの宇治川に擬えたものであろう、その豪快さとは趣を違えて構成が端整である点も、琳派の美意識を下地としたことによる結果である。主題である重忠のみならず、水を怖れて嘶く馬の表情、手綱を引く従者の顔もまた利壽のそれとは対比の妙をみせており、活力のある画面を創出して表現としても成功している。
 畠山重忠は秩父一族の末で、重能の二男。源頼朝に仕えて比企郡菅谷を所領としている。阿佐美氏の出も同じ秩父と伝え、歴史上における遠祖の活躍譚が描かれた作品への深い愛着を抱き、相場の数倍の値である六十両にて求めた(注B)という理由も理解できよう。


注@…小倉惣右衛門著『名士と刀剣』。阿佐美氏は上野寛永寺に仕えた名流と伝える。
注A…縁頭は刀の柄の鐔側に収める縁と、先端の頭の二体一組が基本。ただし、戦国時代やその影響が残る江戸時代前期には頭が角製とされた例があり、これにより単体で製作された縁も多く、片方を失った離れ金具とは本質を異にする。
注B…小倉惣右衛門著『名士と刀剣』。


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企画 株式会社銀座長州屋  著作 善財 一
月間『銀座情報』(銀座長州屋発行)及び『装剣小道具の世界』 (里文出版発行『目の眼』)連載中 Copyright. Ginza Choshuya. Hajime Zenzai. 2009.