装剣小道具を楽しむために 23

Tsuba
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古美濃
Komino

文様から絵画へ



@山椒図目貫 無銘 古美濃 左右35ミリ


A秋草図小柄 無銘 古美濃 長さ97ミリ (注…写真にモアレが生じています)


B牡丹獅子図鐔 無銘 古金工 縦73ミリ (注…写真にモアレが生じています)


C秋草図鐔 無銘 吉岡因幡介 縦67ミリ (注…写真にモアレが生じています)

 装剣小道具の装飾は、室町時代中頃に至るまではすべてが文様であった。絵画を装う掛軸の装飾が文様であるのと同様、あるいは仏像の周囲に宝相華の文様などが配されているように、装飾が主たる絵画や仏像を越えて強い美感を示さないことは当然で、それ故、装飾は意味を抑えた文様とせざるを得なかったのである。
 ところが刀剣を装う金具類は、鞘や柄に装着し、武士の腰にあって人々の目に直接触れるよう意図されている。仏具が持っているような荘厳という古典的な目的を秘めながらも、次第に装飾自体が意味を持ち始め、桃山時代以降、外装全般から個々の金具に表現が求められるようになり、江戸時代にはその金工表現そのものが独立した芸術領域として認知されるのである。
 刀とは、刀身のみが主体ではなく、刀身を収める外装をも含めた総体を指す。そこには、武家の格式や武士が持たねばならない忠誠の表具という目的があり、武士はこれを腰間の刀に表示していたのである。この点が仏具など他の美術品と異なっていよう。
 装剣小道具を製作した金工で、桃山時代以前に遡り、仏教具など特徴の顕著な作品を遺した工や、装剣金工でも将軍家の御用を勤めた後藤家以外の諸金工を、古い時代の金工という意味で古金工と呼び慣わしている。
 このような古金工による古代の文様表現から、近世の金工による表現へと移行する過程において、重要な位置付けにあるのが美濃彫様式の作品群。美濃彫とは、個人や集団の金工を指すものではなく、写真のような個性的な表現様式をいい、殊に桃山時代以前の美濃彫様式を古美濃と称し、製作は古金工一類の手になると考えられている。
 装剣小道具の特徴の一つに、限られた小さな空間に緻密な彫刻表現を為さねばならなかった点がある。それ故、鏨使いに多様性が見られる。
 写真@は室町時代の美濃彫表現になる、山椒を写実的に彫刻した目貫。時代の上がる装剣小道具には、菊花や秋草の他、丁子・山葵・葡萄・藻草など薬種を描いた作が多いことも特徴で、山椒もその一つ。金無垢地を打ち出して肉高く立体的な枝振りとし、実を球形に、実皮の割れた様子を正確に彫り出し、背景を描かずに透かし去ることにより主題を浮かび上がらせている。
 写真Aは同じく室町時代の美濃彫になる小柄で、菊花と桔梗であろうか、その枝と花を唐草風に組み合わせており古典的な意匠。赤銅魚子地に極めて肉高く草花を彫り出し、これらが宙に浮かんでいるかのように文様の下端部を細く仕立て、所々に立ち上がるような金の露象嵌を散らしている点も古い表現である。これらは文様とはいえ、仏教具のそれとは異なり、写実的表現とされている。
 写真Bは桃山頃の華麗な意匠になる、牡丹唐草に獅子を配した鐔。赤銅魚子地を極肉高に彫り出し、金の色絵を施している。牡丹も獅子も古典にある文様の一つだが、謡曲『石橋』の美観を意識したものであろうか、牡丹に花狂いの表現としているところに、文様から絵画への移行が窺える。
 写真Cは江戸時代後期の吉岡因幡介の作で、美濃彫の影響を多分に受けていることは風合いからよく分かるが、文様から脱して絵画の要素を示していることも明らか。赤銅魚子地を高彫として金銀の色絵を施している。
注…作品の表面が均等に揃った点や線の連続である場合、パソコンなどのモニターで鑑賞するとモアレが生じて不鮮明になることがあります。ご容赦ください。


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企画 株式会社銀座長州屋  著作 善財 一
月間『銀座情報』(銀座長州屋発行)及び『装剣小道具の世界』 (里文出版発行『目の眼』)連載中 Copyright. Ginza Choshuya. Hajime Zenzai. 2009.