装剣小道具を楽しむために

Tsuba
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染谷知信
Someya Tomonobu

金工の質感描写




 

 @山水図鐔 染谷知信(金印) 朧銀地高彫金赤銅象嵌 縦73.4ミリ


 
A田舎家図鐔 菊川南甫 赤銅地高彫金素銅孔雀石象嵌 縦63.8ミリ


B山水図鐔 銘 長州萩住政詮作 鉄地高彫金銀赤銅素銅真鍮瑪瑙象嵌 縦70ミリ

 絵画の筆に代わるものが金工では鏨であろう、筆使いと言うように鏨使いとも称するが、技術上、絵筆ほどに自由な描写は可能ではない。金工の表現は、幾種類もの絵筆と絵具を駆使して細部まで再現する絵画とは本質が異なるもので、この違いが絵画と金工を分ける要素の一つであろう。
 また、金工の色彩は限られている。金工作品に用いられる金属の種類は、赤銅・金(銀や銅などの含有成分が異なり色味に差異がある)・銀・銅・朧銀(含有成分により色味に差異がある)・真鍮・山銅・朱銅など十数種類。これが色彩表現に関わる素材、つまり絵画における絵具の総てである。たったこれだけの色金を駆使し、絵画に代わる表現世界を目指しているのである。
 そこで重要になってくるのが、鏨使いである。例えば動物の体毛表現は繊細な線と力強い線刻を組み合わせて行っていたものが、鳥の羽の表現ではさらに複雑に、そして特徴的に描写するというように、線刻の多様化が生み出される。人物の顔、皮質感においても、後藤家の古典的な描写方法と幕末の水戸金工の手になる精密なそれでは、伝統や流派を越えて随分と違いがある。
 ここでは、山水図として興味深い作例を示す。視点を置きたいのは樹木部分の鏨使い。殊に遠く眺める山肌の様子や針葉樹に交じる紅葉した木々の表情などである。
 写真@の鐔は、朧銀地を高彫にし、急峻な山間に開けた農村に取材したものであろう、田園に迫る紅葉、屈曲した松樹、家屋の裏手に密集する杉木立、遠く霞むような山々など、鄙びた風景を中国の山水画のように奥行と広がりを以て表現したもので、樹木の描写に質感を重視する作者の視点の置き様が分かる作品である。
 例えば遠く霞む山は高彫に微細な点刻を施して石目地風に仕上げ、近景の黒々とした林の様子や松樹は赤銅象嵌、紅葉した山肌の樹木は金の象嵌。注目すべきは、象嵌の表面に丸鏨や角鏨など特殊な形状の鏨を切り込むように打ち、鏨の痕跡を強調することによって樹木の叢立つ様子を鮮明に浮かび上がらせている点。山肌の広葉樹と近景の松樹、また金象嵌による描写でも左の樹木と右のそれとを比較されたい。さらには崩落するかのような山陰の岩肌の様子、波立つ湖水などにも鏨によって表情が生み出されている。
 作者は江戸時代後期の染谷知信(そめやとものぶ・文政頃)。南画を手本としたものであろうが、その写しではなく、また、油絵にみられる厚塗の手法でもない。独創の際立つ鏨使いを巧みとした作家である。
 写真Aは菊川南甫(きくかわなんぽ・寛政頃)の手になる鐔で、ここでも松樹の描写と屋根に覆い被さるような広葉樹の描写とでは明確に違えている。因みに手前にある苔生した岩は緑色の孔雀石(くじゃくいし)をそのまま用いている。
 写真Bは、長州鐔工政詮(まさあき・宝暦頃)の作で、鉄地を高彫として金銀赤銅素銅真鍮の多彩な色金を象嵌しているが、表の二箇所に赤い瑪瑙(めのう)を据えている。Aと同様に極めて珍しい表現である。
 金工と絵画の差異の鑑賞、殊に本作のような特異な質感描写になる作品を通じ、金工作品鑑賞への興味が拡大されることを願っている。


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企画 株式会社銀座長州屋  著作 善財 一
月刊『銀座情報』(銀座長州屋発行)及び『装剣小道具の世界』 (里文出版発行『目の眼』)連載中 Copyright. Ginza Choshuya. Hajime Zenzai. 2009.