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Tsuba
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鉄元堂正楽
Tetsugendo Shoraku

異国の伝説 韃靼人


 
韃靼人図鐔 銘 鉄元堂正楽 天明二壬寅年九月日作之 鉄地竪丸形高彫金象嵌 縦77ミリ

 我が国の文化は、秋の枯葉の吹き寄せの如く大陸から流れ伝わってきた風習や文物の堆積に喩えられ、その積層の様子が生活の中に窺いとることができるところに特徴がある。古くから文化を送り続けてきたのは中国を中心とした大陸東域の人々であったが、室町時代末期から桃山時代には南蛮人と呼ばれた西洋人も渡来して一つの文化の層を成している。
 文化は形ある物としても、無形財としても伝承されるが、伝えるのは人そのものである。我が国に到来した人々はもちろん、たとえ我が国に来なくとも、文化が伝播する各地に生きた人々の実体は、伝聞と、それを記した書物、あるいは絵画が伝えている。
 桃山時代の風俗を題に得た屏風絵などは、興味深い視線で我が国土を踏んだ南蛮人を見据えている。多くの場合、西洋人の姿は背が高く彫りの深い顔が特徴的。犬を連れた図が多く残されているところから、これも西洋人を印象付ける要素の一つとして捉えられていたのであろう。刀装具にもこの図がみられる。
 西洋人だけではない。中国を通してその背後に広がる地に対する興味は古くからあった。例えば、北方のバイカル湖近辺にあって狩猟を専らとしていた韃靼人(だったんじん・タタール人)がそれ。彼らは巧みに馬を操り、疾駆する馬上から弓矢で獲物を射る技術をもっていた。言うなれば脅威の戦闘軍団である。
 西に目を向けると、『山海経』に記されている手長族と足長族がある。伝説の部族ではあるが、ペルシャ系の人物に表現されることから、シルクロードを伝わってきた文化の産物であると推定される。さらにその遠方に位置するアフリカ大陸の人々、あるいは南洋の人々の姿は、珊瑚切図などにもみられるように肌の色が褐色に表現され、顔つきも独得のものがある。
 では、この鐔に描かれている異人はどこに生き、如何なる文化をもっていたのあろうか、これまで韃靼人図と呼ばれてきたが再考の余地がありそうである。
 頭部と顔は丸味があり縮れた髪の毛、脚部の大部分が露出する衣服である点から北方系の民ではなさそうだ。肩にしている弓の構造は我が国のものとは異なり、走る馬上で用いる半弓であろう。吹いているラッパは南蛮人図や唐人図に描かれているもののようにも見え、これは西洋(南蛮)起源を意味する。これらの様子を総合すると…、むしろ実像が遠く霞んでしまうのが事実。作者鉄元堂正楽が求めたものは一体何であったのだろうか。共に描かれている狛犬や唐獅子を彷彿とさせる犬の姿からも実体を読み取ることはできない。
 鍛え強い鉄地を薄く仕立てて鎚の痕跡を残し、量感のある高彫で主題を彫り出し、金銀の象嵌を加えて実体感を高め、地鉄表面には黒褐色の錆地漆を塗り施して古くから素材美の根源とも考えられている鉄錆の美しさを再現している。笛を吹く人物の表情は豊かで、尖った口の様子や視線の行方、手足の仕草などには自然な動きが感じられる。
 さて、正楽が表現した異人の実体を追及するのは無意味とも思えてきた。伝説、伝承の世界だ。この人物を明確にするよりむしろ、文化を異にする未知の存在への興味、伝説的な地に生きた異人への興味、異文化への強い興味が鮮やかに映し出されていることに、より深く注目したいのである。


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企画 株式会社銀座長州屋  著作 善財 一
月刊『銀座情報』(銀座長州屋発行)及び『装剣小道具の世界』 (里文出版発行『目の眼』)連載中 Copyright. Ginza Choshuya. Hajime Zenzai. 2009.