装剣小道具を楽しむために

Tsuba
目次 Contents
銀座長州屋 Web Site



利壽
Toshinaga


利壽の大和絵



秋野に狐雉図縁頭 銘 利壽(花押) 赤銅石目地高彫色絵
縁長39ミリ 縁腰高さ8.5ミリ 頭長35.5ミリ






 我が国独特の風景感を表現する絵画様式として平安時代に生まれた大和絵は、桃山時代には芸術意識の高揚によってさらなる発展をみせる。本阿弥光悦や俵屋宗達、金工では埋忠明壽(うめただみょうじゅ)といった桃山時代の作家による風景の文様化は、後に様式として完成された琳派の雅によって知ることができよう。江戸時代初期には、狩野探幽などの迫力ある構成によって桃山様式が確たるものとなったが、時代が下がって優れた拡大鏡が輸入されるようになると、これを利用した細密画が盛んに描かれるようになる。例えば狩野派の隆盛の陰に隠れていた土佐派の濃密な画法などは、土佐光則や光起によって新たな展開が成されるのである。
 江戸時代前期から中期の時代の装剣金工には、埋忠派のように文様世界を展開させた一派があり、また、古典的な和漢の歴史に題を得てその背後にある武士の意識を表現する一脈があり、さらに、後藤(ごとう)家に学んで新たな表現を模索する流れも登場する。このように後藤家に学んで独立し町衆の要求に応じた金工を、後藤の家彫(いえぼり)に対応させて町彫(まちぼり)と呼び慣わしている。
 その代表ともいえるのが横谷宗a(そうみん)の一門と、ここに記す奈良(なら)一門。元禄頃を主たる活躍期として奈良三作と呼ばれた利壽、安親(やすちか)、乗意(じょうい)の三者が新たな地平を切り拓き、特に利壽は人物描写に優れて真に迫る作品群を世に問い、濱野政隨(しょうずい)など数々の名工をも育てて江戸の地に巨大な金工門流を創出した町彫の祖と言い得る名工である。
 利壽を筆頭とする奈良派は、鉄地や真鍮地など素朴な味わいのある素材を槌目地に仕上げて金・銀・赤銅などの色絵象嵌を施し、人物あるいは風物を正確に表現するを得意とした点は広く知られるところであるが、大和絵の流れの一面を金工に再現したとも言える点で、自然風景に題を得た作品群においても注目すべきであろう。
 掲載の縁頭は、我が国の自然を真正面から見据えた作品。どこにでもあるような鄙びた光景に視点を置き、それでいて野趣よりもむしろ洗練された風景観を展開しているのである。
 雌雄の雉を頭に、これを獲物として狙い定めているのであろうか狐を縁に描き分け、両者を連続した光景とするために秋草を的確に布置している。
 漆黒の赤銅地を抑揚のある石目地に仕上げ、主題を高彫に仕立てて金・銀・素銅・朧銀の色絵を施し、その表面には極細密の毛彫と地叢(じむら)風の微細な鏨を加えて柔らか味のある質感を創出、総体に量感のある姿の中に自然な表情を映し出している。雉の翼の表現は特殊な鏨を切り込んだものであろう、抑揚変化のある毛彫(けぼり)や片切彫(かたきりぼり)が施されており、これが自然味の要素ともなっている。また、雉の地にこぼれた実を啄ばむ姿、首を長くして辺りに気を配る様子や目の動きにも生命感があり、雉にとっては脅威の存在である狐の表現も巧み。快活な動きと柔らかな胴体、体毛の様子なども見どころである。
 雉に取材した縁頭は利壽に数点知られているが、秋草との調和を求めたこの作は、土佐光起の『粟穂鶉図屏風』にみられるような繊細緻密な表現手法になる花鳥の表現を試みたものであり、他の作品も同様、江戸時代における大和絵隆盛の一翼を金工の面から担ったものと言えよう。以降、発展を続ける江戸の金工界の下地となったことはもちろんだが、それ以上に作品として確固たる完成をみた孤高の世界がここに展開されている。


目次 Contents   銀座長州屋 Web Site


企画 株式会社銀座長州屋  著作 善財 一
月刊『銀座情報』(銀座長州屋発行)及び『装剣小道具の世界』 (里文出版発行『目の眼』)連載中 Copyright. Ginza Choshuya. Hajime Zenzai. 2009.