装剣小道具を楽しむために

Tsuba
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加納夏雄
Kano Natsuo


古典の要素と純粋美


 
松樹図鐔 銘 夏雄(花押) 鉄地木瓜形高彫金象嵌 縦67ミリ

 饒舌を捨て去り、黙すことにより語る。加納夏雄(かのうなつお・一八二八〜一八九八)の表現方法、あるいは表現の下に流れる創作への理念である。
 金工の多くは、写実にせよ文様にせよ、主題や存在する対象を、それらがあるように、風景の一部あるいは装飾物として認識し表現する手法を専らとしていたが、夏雄は、風景の一部を切り取って実体と切り離し、別の空間として再構成したのである。そこには、定められた視線を捨てて空間を自由に行き来する自由な意識、浮遊する視覚の持ちようがあった。
 それは、それまでの絵画の延長線上に創作を意識したものではなく、現実世界や手本となる絵画世界から独立した空間の創出であり、超現実空間の心的再現であったとも言えよう。
 夏雄は四条円山派の中島来章に絵画を学んでそれを金工に生かしている。円山派は応挙にはじまり、写生を尊重する作画を特徴とし、江戸時代後期の我が国の絵画界においては極めて重要な、しかも中心的な位置にあった流派である。ところが夏雄は、その写生を基本にしながらも、これを超越したところに新たな美学を求めたのである。
 写真の鐔は、最も得意とした鉄地を薄手に造り込み、主題の松樹のみを彫り出してこれに微かな地相を加えるという手法で夏雄が感じ取った悠久なる時間と広大な空間を描き、純粋美をそこに引き出した作品である。
 松の樹相は青壮の趣があり、針葉の中ほどには、伸びつつある若芽に初夏の季節感が示されており、詳細に観察すれば爽快の感がある。地鉄は緻密に鍛えられて緩みなく、四隅をごくわずかに切り込んだ上品な泥障木瓜形(あおりもっこうなり)の造り込みで、耳は打ち返し風に鋤き残し、表面は微細な石目地仕上げ。幹の周辺をごくわずかに鋤き下げて総体を高彫とし、これに繊細緻密な彫刻を加えて実体感を高め、若芽には金の象嵌(ぞうがん)を施している。地面の一部に地斑(じむら)を付け、わずかに鋤き下げて変化を持たせ、広く取った空間を引き締める要素としている。全体に施されている微細な石目地(いしめじ)は、鑑賞の際の光加減で背景に澄明感が生まれて松樹が際立ち、夏雄が真に表現したかったものは松樹よりもむしろ、この松樹を包んでいる空気ではなかったのかとの思いも起こさせる。鐔の耳の処理も強くなく弱くもなく、切り取った絵画を鐔面に収めるための額縁としての耳というのではなく、これにより自然な抑揚変化が生じて画面に溶け込んでおり、松樹の佇む空間が自然に起ち現われたかのような、奥行きと広がりがそこに感じられるのである。
 この松樹図鐔でもそうだが、近世末期から西洋文化が洪水のように溢れた明治時代に生きた夏雄は、主に古典的な風物に題を得ている。一般的な古典は日本的な思想(武士の倫理や神仏の教えなど)や平安王朝の美意識(自然観)を背景としており、それを視覚に訴えるところが大である。
 ところが夏雄の作品では、古典的思想や意味を内に秘めながらも、それらを突き離している。その結果、主題の放つ美が、多くの教えや意味から開放されて視覚のみに作用し訴えかけてくるのである。古典という素材を用いた夏雄の、新時代に向けた純粋美への追求がここにみられるのである。


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企画 株式会社銀座長州屋  著作 善財 一
月刊『銀座情報』(銀座長州屋発行)及び『装剣小道具の世界』 (里文出版発行『目の眼』)連載中 Copyright. Ginza Choshuya. Hajime Zenzai. 2009.