装剣小道具を楽しむために

Tsuba
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金家
Kaneie


禅宗絵画の鐔への表現


 
塔山水図鐔 銘 山城国伏見住金家 鉄地変り丸形高彫金銀象嵌 縦94ミリ

 埋忠明壽(うめただみょうじゅ)及び信家(のぶいえ)と共に桃山三名人と尊称される金家の作品を鑑賞するには、禅の教えを理解できなければそれに値しない、とまでは断じ得ないだろうが、容易には理解の扉を押し開くことは適わない。
 金家が鐔工として重要な位置に据えられている理由は、鐔工として初めて風景や事物を題に採って絵画風の図案を構成した作者であり、また、作品に銘を遺していることによると言われている。それまでの金工一般の文様風図柄から一転して絵画的な表現を為し、後の金工が絵画表現を展開させてゆく下地を作ったことからも、金家を刀装金工のキーポイントと考えねばならないのである。
 ところが信家とともに生没年が判明していないところから正確な活躍期が判断できず、室町時代の禅宗美術の影響を多分に受けている室町末期から江戸初期という広い時代範囲を視野に入れねばならないが、敢えて一般論として限定するなら、銘文や造り込みなどから桃山時代に落ち着くであろう。ただ、作風や図案の採り方には変化がみられ、初二代の代別を考慮するとともに、その前に大初代を想定する研究者もあり、この点は後考に委ねたい。
 鎌倉時代に渡来した多くの臨済僧がもたらした禅宗は、鎌倉幕府の庇護の下で発展したが、同様に、道元により我が国独自の曹洞禅が完成されたことも後の禅宗隆興の理由である。殊に我が国の武士の感性と融合して発展した禅宗美術は、室町時代に水墨画という一切の色彩を排した絵画様式を定着させ、しかもその美学が大衆にまで広く受け入れられるようになり、刀装具においては、鉄という素材そのものに枯淡の趣があるところから、容易に金工の意識と融合したとも考えられる。
 金家の作品にみられる図柄の多くは、禅宗美術を下敷きとした達磨・許由巣父・寒山拾得等の唐人物・猿猴捕月・塔山水等。また、山城国周辺に取材したものであろうか飛脚・曳船・釣り人・漁師・樵夫等や毘沙門天も題にあるが、いずれも鉄の錆地を生かした高彫による図案構成。そして、この時代の絵画創作一般を考慮するに、自然のままに生きる人々を写生する意識は、まさに自然体の追求にほかならず、これこそ禅の教えを刀装具という場を借りて彫刻表現したもの。金家は鐔の製作を拠りどころとして禅を体現していたのである。
 この塔山水(とうさんすい)図鐔は京の近郊に取材したものであろう、金家の、最も自然な意識を映し出した作品の一つに挙げられている。鉄地を不定形の所謂拳形に造り込み、耳の周囲を打ち返して雨風が為した岩肌のような技巧のない抑揚変化を付けており、地面(鐔の表面)にも槌目を生かしているのは、鉄が生み出す錆地を画布として捉えていることの証しで、ここにも自然体への追求が窺える。地鉄を極めて薄く仕立て、これを高彫あるいは象嵌の手法にて、事物がそこにあることが当たり前のような、言わば空気のような存在として表現している。中央の空間を広くとって主題を小さく捉えているのは、観念的ではあるが、風景を作品として画布(鐔の表面)に収斂させてしまうのではなく、この鐔を腰にしている武人(あるいは金家本人か)を、その塔や鳥居のある鐔の中に、自然なる調和を以て置こうとしたのではないか。金家とは、単なる鐔工ではなく、禅の教えに深く傾倒し理解した、教養ある人物(武士か)であったと断じられるのである。


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企画 株式会社銀座長州屋  著作 善財 一
月刊『銀座情報』(銀座長州屋発行)及び『装剣小道具の世界』 (里文出版発行『目の眼』)連載中 Copyright. Ginza Choshuya. Hajime Zenzai. 2009.