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Tsuba
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後藤栄乗
Goto Eijo


合戦図に秘められた武士の教訓

 
 


@ 無銘 後藤栄乗 赤銅魚子地高彫金銀色絵金覆輪 縦83ミリ (注…写真にモアレが生じています)

 


A 無銘 後藤栄乗 赤銅魚子地高彫金銀素銅色絵金覆輪 縦71ミリ (注…写真にモアレが生じています) 

 祖伝の伝統的な作風を基本として、和漢の歴史人物を題に武家の戒めを示す作品を製作したのが桃山から江戸時代初頭の後藤(ごとう)一門、その中心的な存在が栄乗(一五七七〜一六一七)であった。
 栄乗は後藤宗家六代目で、先代と共に豊臣秀吉に仕えていたため、関ケ原合戦以降はしばらく業を絶っていたが、元和二年に秀忠より家業の再興を許されて分銅大判などの改め役に任じられた人物。いわば幕末までの後藤家安泰の基礎を作った中興の功労者である。
 戦国時代に混乱の極まりをみた武家の秩序を回復する目的から、徳川幕府は儒教思想による治世を目指したことは良く知られている。もちろんこれに仏教と神道を加えた三教協調の姿勢があり、かつて武士教養のテキストとして用いられていた『平家物語』などが、思想的な面から見直されたのである。
 平家の盛衰を柱として物語が展開されている『平家物語』は、随所に対人、対軍勢、対社会情勢等多くの人間関係、言うなれば人間模様が散りばめられている。後に大衆演芸などで舞台化されることとなる『平家物語』から取材された名場面は、武家社会では教訓として捉えられていたのである。
 鐔@は、源義経と範頼によってなされた、京都の木曽義仲追討を目的とする宇治川の合戦の場面を描いた作。宇治橋を都の攻防の拠点として捉えた義経・範頼軍下、その緊張に満ちた状況では、軍内部においてさえ功を焦る兵によって出し抜きや陥れなどの駆け引きがあったもので、勇猛一番乗りを尊ぶ東国の武将によってなされた『宇治川の先陣』がその例。こうした味方同士の小競り合いや活躍場面を取材することによって武士のあるべき姿を探り出そうとしているのである。
 刀を肩にして河中に馬を操るのは佐々木四郎高綱(たかつな)。河岸で弓を口に馬の腹帯を締め直しているのが梶原源太景季(かげすえ)。高綱は先を行く景季を呼び止め、馬の腹帯が緩んでいると告げ、景季がこれを直している間に渡河し先駆けを果たしたのである。この場面の背景には鎌倉にて総指揮をとる源頼朝への忠誠心があり、これに裏付けられた闘争本能が示されているのである。
 同じ鐔の裏面には、都を追われた義仲に沿い従い、奮戦活躍した荒武者姿の女傑巴御前(ともえごぜん)を題材に『巴御前奮戦』の場面を描いている。この図も同様、女ながらに主を護って死地を転戦するという、常ならぬ女人の心模様を見るのみならず、忠誠という言葉がそこに浮かび上がってくるのである。
 作行は、大振りで肉厚の赤銅魚子地(しゃくどうななこじ)を木瓜形(もっこうがた)に造り込み、事物を高彫と据文象嵌(すえもんぞうがん)の手法で肉高く彫り表わし、金と銀の色絵を施して桃山時代の特徴でもある重厚な趣を漂わせている。
 Aの鐔は、都を追われた平家が義経軍に急襲された、屋島の合戦を描いた作。落とした弓を敵に奪われることを嫌った義経が波に漂う弓を争い拾う場面と、平家の女官が差し出した扇の的を坂東一の弓の使い手那須与一宗高が見事に射抜いた名場面。いずれも戦場の中に輝く『個』を捉えて活躍譚としながらも、軍団の中での人の為すべき行いを表わしている。
 赤銅魚子地を高彫に仕上げて金銀の色絵を華麗に用い、武士の教訓のみならず平安貴族の美意識をも漂わせており、桃山文化の一典型を示している。


注…作品の表面が均等に揃った点の連続であるため、パソコンなどのモニターで鑑賞するとモアレが生じて不鮮明になることがあります。ご容赦ください。


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企画 株式会社銀座長州屋  著作 善財 一
月刊『銀座情報』(銀座長州屋発行)及び『装剣小道具の世界』 (里文出版発行『目の眼』)連載中 Copyright. Ginza Choshuya. Hajime Zenzai. 2009.