越後国 嘉永七
刃長 一尺二寸七分三厘
反り 二分九厘
元幅 九分
重ね 二分三厘
彫刻 表裏 腰樋・細樋掻流し
銀地一重ハバキ 白鞘入
昭和三十六年新潟県登録
特別保存刀剣
550,000 円
(Item number: 1741)
Echigo province
A.D. 1854 (Kaei 7, Under the rule of Tokugawa Iesada, the 13th Tokugawa shogun)
Hacho (Edge length) : 36.8cm
Sori (Curvature) : Approx. 0.88cm
Moto-haba (Width at Ha-machi) : Approx. 2.73cm
Kasane (Thickness) : Approx. 0.7cm
Horimono (Curving) : OmoteUra "Koshi-hi" and "Hoso-hi" kaki-nagashi
Silver single Habaki
Shirasaya
Tokubetsu-Hozon
550,000 JPY
江戸後期の優工玉心斎正蔭(ぎょくしんさい まさかげ)の、備前伝の平造脇差。身幅充分で反り浅く寸法は控え目、腰樋と細樋が掻かれた洗練味のある姿。地鉄は小板目肌に古鉄を巧みに卸して合わせ鍛えたものであろう、僅かに起ちごころの肌を交え、小粒の地沸が付いて明るい鉄色を呈する。互の目丁子の刃文は純白の沸で刃縁が明るく、物打付近に細かな金線と砂流しが掛かり、匂で澄んだ刃中には長い足が射す。帽子は焼深く、横に展開して長めに返る。化粧鑢を伴った筋違鑢が美しい茎は師水心子正次に近似している。嘉永甲寅は安政と改元された嘉永七年で、三月に日米和親条約が締結された年。開国と攘夷で国論が沸騰した時期ながら、作りは丁寧で、謹直な銘字にも正蔭の篤実な人柄が滲む。
さて正蔭について、本誌では、初めに源清麿門の鈴木正雄に学び、正雄が安政四年、箱館奉行堀利熙の招きで蝦夷地へ赴任した後、大慶直胤門の水心子正次に師事として来た。だが嘉永年紀の本作は、正雄が江戸を去る安政四年以前の作ながら既に作風と茎仕立て共に直胤‐正次流の特色が顕著で、また正の銘字も楷書体で、草書銘の鈴木正雄流は微塵もない。一方、清麿の兄真雄は嘉永元年から三年、楷書で正雄と銘している。実の所、正蔭は嘉永初年、江戸の鈴木正雄ではなく信州の正雄に入門して修業、後に江戸の水心子正次門で大成したもので、諸書にある正雄は山浦正雄だったのではないか。出来優れた本作はそんな新説を夢想させるのである。(商品番号1741)