銘 平安城住大隅守平廣光
慶應三丁卯年八月日

Katana
Signed. Heianjo ju Osumi no kami Taira no HIROMITSU
Keio 3 Hinoto U no toshi 8 gatsujitsu

山城国 慶応三

刃長 二尺三寸六分二厘
反り 五分二厘
元幅 一寸七厘強
先幅 七分二厘
重ね 二分四厘

銀地二重ハバキ 白鞘付

黒蝋色塗鞘打刀拵入
 全長三尺三寸四分二厘強
 柄長七寸五分九厘

昭和45年岐阜県登録

特別保存刀剣
1,350,000 円

(Item number: 1742)
Yamashiros province
A.D.1867
(Keio 3, During the Edo period,
under the rule of the last shogun, Tokugawa Yoshinobu.)

Hacho (Edge length) : 71.6cm
Sori (Curvature) : 1.6cm
Moto-haba (Width at Ha-machi) : 3.27cm
Saki-haba (Width at Kissaki) : 2.2cm

Silver dougle Habaki
Shirasaya

Kuro ro-iro nuri saya, uchigatana koshirae
 Whole length : 101.3cm
 Hilt length : 23cm

Tokubetsu-Hozon
1,350,000 JPY

 新撰組副長土方歳三の刀の作者和泉守兼定は、文久三年七月に上京し、十二月四日に和泉守を受領した。兼定は慶応元年二月の帰国まで二年余在京している。その時、兼定の相鎚を勤めたのが、表題の刀の作者大隅守廣光で、本名を河合幸七といい、大和郡山藩柳沢家の家臣であった。同藩が会津藩に協力して京都治安保全を担当していた縁で兼定の門人(注①)となったもので、慶応年間に大隅守を受領しており、優れた技術の持ち主であったことがわかる(注②)。
 この刀は、身幅が広く重ねも厚く、適度に反りが付いて中鋒の延びた張りのある姿で、まさに和泉守兼定の刀を見るような出来。地鉄は小板目肌が詰み澄み、小粒の地沸が均一に付いて白く輝き、沸映りが立ち、堅く締まる。直刃の刃文は、小沸が付いてきっぱりと冴えた刃縁が明るく、刃境に湯走りが掛かって処々打ちのけや二重刃が現れ、匂で澄み冴えた刃中には棚引く白雲のような細い沸筋が流れる。帽子は沸付き、浅く弛んで小丸に返る。未だ底白く輝く茎は先端の形状こそ違えど會津十一代兼定と同じ急な筋違鑢が整然と掛けられ、鎬筋に沿って差表に受領銘、差裏にも干支を添えた年紀が謹直な書体で刻されているのも師と同じ。禁門の変では御所警備に当った兼定の、京での門人大隅守廣光の現存稀有の一刀である(注③)。
 梅図鐔、布袋葵図縁頭など植物の金具で装われた、黒蝋色塗鞘打刀拵が付されている。(商品番号1742)

注①『会津の美』に越後の刀工石原兼常、田代兼元、佐藤兼房、会津の兼光、兼道、兼宗、兼重、京都は廣光とその子兼義、桜井兼弘らの名があるが、作例は載せられてはおらず、弟子たちの実像は不詳。
注②生谷敬之助「刀工大隅守廣光について」(『霊山歴史館紀要第八号』)参照。廣光は『刀剣注文簿』(公益財団法人日本美術刀剣保存協会蔵)を製作しており、この史料を調査した米山高実氏は廣光を兼定の実弟としているが根拠は全く不明。『日本刀銘鑑』では川井姓だが河合が正しい。
注③細かなヒケ疵があるも、鑑賞の妨げとはならない。