出羽国 文化三
刃長 二尺四寸三分半
反り 四分二厘
元幅 一寸五厘
先幅 七分七厘
棟重 ね二分四里
鎬重 ね二分五厘
金色絵一重ハバキ 白鞘入
令和三年岡山県登録
特別保存刀剣鑑定書
850,000 円
Dewa province
Bunka 3 (A.D. 1806, late Edo period)
Hacho (Edge length) : 73.7cm
Sori (Curvature) : 1.3cm
Moto-haba (Width at Ha-machi) : 3.2cm
Saki-haba (Width at Kissaki) : 2.36cm
Kasane (Thickness) : 0.76cm
Gold plating single Habaki
Wooden case (Shirasaya)
Tokubetsu-Hozon certificate by NBTHK
850,000 JPY
秋田湯沢の刀工貞弘が、秋田藩重臣佐竹義良(さたけ よしざね)公の為に精鍛した刀。義良は佐竹本家を支えた御苗字衆の一つの南家(注①)の十二代目で、明和六年十月に家督を継ぎ、郷校建設、文武奨励等の領地経営に成功し、本家より感状を拝受している。藩主の信頼が厚く、天明元年六月には名代として十代将軍家治に秋田への帰還を報告(注②)している。貞弘は名を山田喜代助といい、湯沢に居住し、水心子正秀に学んで(注③)享和から文政にかけての作がある。
この刀は身幅が広く重ねも厚く、輪反りが頃合いに付いて中鋒のやや延びた端正な姿。地鉄は小板目肌が詰み、地沸が微塵に付いて地景が網状に働いて肌立つ風のある備中青江の縮緬肌を想起させ、しかも地肌は晴れ晴れとしている。中直刃の刃文は、小沸が付いて匂口が明るくきっぱりとし、刃境に淡い湯走りが掛かり、小足が無数に入り、刃中にも匂が立ち込めて澄む。帽子は端正な小丸返り。茎には化粧の付く鑢が丁寧に掛けられ、銘字は天明から寛政頃の師水心子正秀と同じく、表に秋田を意味する「羽陰住(注④)」を冠した楷書体の銘が、裏には草書体で年紀が刻されて、御刀係の武士からの指示であろうか、「蒙」と「南」の間は佐竹義良公への敬意を表すべく一文字分を空ける闕字(けつじ)とされていることも見逃せない。領主への誉の献上刀として備中青江を念頭に精鍛された一振とみられ、出来も上々である。
注①常陸時代の佐竹氏の太田城の南側に館があった故の呼称。他に東家・北家・西家がある。
注②『出羽国雄勝郡湯沢佐竹南家・佐竹南家分家早川家文書目録』(令和四年三月国文学研究資料館学術資料事業部発行)参照。
注③『新刀銘集録』の「川部氏系図」に「貞弘 羽州秋田住人山田喜代助」と名がある。因みに秋田からは他に貞英、正英がいる。
注④羽陰は出羽国の秋田側という意味。