筑後国 元和頃
刃長 一尺二寸八分
反り 四分二厘
元幅 一寸四厘
先幅 八分六厘
重ね 二分三厘
彫刻 表裏 薙刀樋・添樋
金着二重ハバキ 白鞘入
昭和三十六年福岡県登録
特別保存刀剣鑑定書
五十万円(消費税込)
Chikugo province
Genna era(A.D.1615-1623, early Edo period)
Ha-cho (Edge length) 38.8cm
Sori (Curvature) approx. 1.27cm
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 3.15cm
Saki-haba (width at Kissaki) approx. 2.61cm
Kasane (thickness) approx. 0.7cm
Gold foil double Habaki
Wooden case (Shirasaya)"
Tokubetsu-Hozon certificate by NBTHK
Price 500,000 JPY
鬼塚吉國(おにづか よしくに)は江戸初期の筑後柳川の刀工。柳川の領主立花宗茂は武勇に秀でて人望厚く、関ケ原の戦で敗れるも、その人物を愛した家康より奥州に領地を与えられ、後の元和六年に十万石で柳川に再封されている。吉國も宗茂と共に帰還し、島原の乱で活躍した池邉彦左衛門の刀(第三十四回重要刀剣)や武芸に秀でた土豪甲木藤右衛門の刀を手掛けている(注①)。
この脇差は柳川帰還後の元和頃の作とみられ、身幅が広く重ねも厚く、物打が張って鋒の延びた、同田貫正國の如き(注②)剛毅な体配。腰元の薙刀樋で重量が調整され、鎬地の肉が削ぎ落されて刃の通り抜けが優れた、片手での使用に適した武士好みの一振。小杢目鍛えの地鉄は太い地景が蠢き、地沸が厚く付き、鉄色が黒みを帯びて精強な印象。ゆったりとした湾れに小互の目を交えた刃文は刃縁が沸で明るく、匂で澄んだ刃中には小足と葉が盛んに入って刃味の良さを感じさせる。物打辺りから焼幅が僅かに広くなり、帽子は大きく延びた鋒へとなだれ込んで突き上げごころに長く返り、焼刃にも迫力がある。茎は中程が張って先がわずかに括れた独特の形状で、銘が伸びやかに、しかも堂々と刻されている。平時にても戦場への備えを怠らぬ武士の気骨を感じさせる出来優れた一振である。
注①…池邉や甲木に関しては、木元武夫「鬼塚吉国に関する中間報告」(『刀剣美術』三三号)に詳しい。
注②…宗茂と共に、肥後国高瀬(玉名市)に住した吉國が同田貫鍛冶と交流との説もある(久野繁樹「鬼塚吉国の再検討」『刀剣美術』八〇号)