短刀
刀身銘 於濃州信濃守藤原大道造之(初代)

Tanto:
(Toshin mei) Noshu ni oite Shinano no kami
Fujiwara no DAIDO kore wo tsukuru
(The founde)

美濃国 寛永頃

刃長 六寸五分
反り 僅少
元幅 七分六厘
棟重ね 一分九厘強

金着一重ハバキ 白鞘入

昭和63年大阪府登録

四十万円(消費税込)

Mino province
Kan'ei era(A.D.1624-1643, early Edo period)


Ha-cho (Edge length) 19.7cm
A little curvature
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 2.31cm
Kasane (thickness) approx. 0.6cm
Gold foil single Habaki
Wooden case (Shirasaya)

Price 400,000 JPY

 関ヶ原の合戦の記憶が残る江戸初期寛永頃に活躍した信濃守大道(しなののかみ だいどう)作の短刀。大道は美濃刀工の名跡で、最も有名なのは永禄十二年正親町天皇に剣を献じたことにより陸奥守を受領して大の字を賜り、大道と改銘した兼道。だが大道は他にも陸奥守大道の弟伊豆守大道、参河守大道、相模守大道、豊後守大道、但馬大掾大道がおり、信濃守大道はその一人である。
 この短刀は、片切刃片冠落造というべき個性的な造り込み。刃長は六寸五分ながら身幅が広く、刃区が殊に深く、平造とされた差裏に対して差表には鎬筋が設けられた上に棟寄りの肉が軽く削がれ、刃先の二ミリ程にも鎬筋が設けられ、先反りやや強く、しかもふくらが充分に付いて姿に量感がある。鎬筋に沿って「於濃州信濃守藤原大道造之」と堂々と刻された銘字が板目鍛えの地鉄に映えて美しい。刃文は尖りごころの互の目乱刃で、焼の谷に淡雪のような沸が降り積もって刃縁が明るく、澄んだ刃中には飛び足が射し、短寸ながら精妙な焼入れがなされ、突いて掻き切る武器の機能性は万全。慶長十六年三月二十六日京都二条城での秀頼と家康の会見で、秀頼を護らんと祐定の短刀を懐にしていた加藤清正(注)と同じく、治に在り乱を忘れぬ真の武士の所持であろう。

注…清正は家康と刺し違える覚悟であったという。その時の懐剣備州長舩祐定は網代鞘拵(清正公拵)に収められ、清正が眠る熊本の本妙寺にある。