山城国 寛永頃 約三百九十年前
刃長 一尺五寸五分七厘
反り 四分
元幅 一寸一分一厘
先幅 八分三厘
棟重ね 一分八厘
鎬重ね 二分二厘
金着二重ハバキ 白鞘入
昭和四十四年愛媛県登録
特別保存刀剣鑑定書
八十万円(消費税込)
Yamashiro province
Kan'ei era(A.D.1624-1643, early Edo period)
About 390 years ago
Ha-cho (Edge length) 47.2cm
Sori (Curvature) approx. 1.21cm
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 3.36cm
Saki-haba (width at Kissaki) approx. 2.51cm
Kasane (thickness) approx. 0.67cm
Gold foil double Habaki
Wooden case (Shirasaya)
Tokubetsu-Hozon certificate by NBTHK
Price 800,000 JPY
義國は寛永頃の京都三条堀川の日本刀作者で、豊後守を受領(注①)している。作風が堀川國廣に近似することから門人とする説(『新刃銘盡』巻二)の他、初代京丹波に近い作風(藤代版『日本刀工辞典』)とみる意見もあるが、義國の彫身の幅広の片切刃造脇差(第二十一回重要刀剣)が國廣門の出羽大掾國路の作に酷似(注②)するため、國路門人とするのが妥当ではなかろうか。その技量は優れ、享保年間出版の『新刃銘盡後集』巻二に「地鉄こまかに刃にへにほひあつてしかも位あり。よほど上手也」と絶賛されており、当時から高く評価されていたことは明らかである。
この脇差は身幅が極めて広く鎬筋が張り、中鋒に造り込まれて姿に力が漲る、出羽大掾國路の脇差に見紛う一振。潤い感があって冴えた魅力的な地鉄は、刃寄りに柾を配した板目鍛えに地景が働いて肌が鮮やかに起ち、輝きの強い地沸が厚く付き、刃区付近から國廣と同趣の水影映りが立つ。刃文は互の目に尖りごころの刃、矢筈風の刃、箱がかった刃を交えて盛んに逆がかり、純白の小沸で刃縁が殊に明るく、浅く乱れ込んで突き上げて返る帽子なども國路同然。急な筋違鑢が掛けられた栗尻の茎も國路に酷似し、義國独特の書体の銘字(注③)が入念に刻されている。同工の特色が顕著で出来優れ、関ケ原合戦や大坂の陣の記憶が未だ生々しく残る、寛永頃の気風を体現したような剛毅な一振となっている。
注①寛永十三年七月十一日紀の豊後大掾藤原義國作の太刀があり、これ以前に豊後大掾を受領している。なお寛永十八年二月吉日紀の豊後守銘の刀があり、大掾から守に転任(加藤静允先生編『伊賀兎毛手拓・沢家所蔵 山城新刀押型』参照)。
注②今村長賀は義國の作について「出羽大掾國路の如し」と記している(『今村押形新刀第三巻』)。 注③義の我の字と國の或の銘字が丸みを帯びる。