平三角直槍
銘 相模守藤原政常

Yari (Hira-sankaku sugu yari)
Sagami no kami Fujiwara no MASATSUNE

尾張国 慶長頃 約四百年前

穂長 五寸八分
元幅 七分
ふくら幅 五分六厘
茎長 八寸一分八厘
彫刻 裏 細樋
白鞘付

朱叩塗鞘大文字形鞘槍拵入
拵全長 四尺二寸五分七厘
鞘長 九寸五分七厘

昭和46年兵庫県登録
昭和54年2月13日再交付

特別保存刀剣鑑定書
六十万円(消費税込)

Owari province
Keichoo era(A.D.1596-1614, early Edo period)
About 400 years ago

Ho-cho (Spear length) 17.6cm
Moto-haba (width at Ha-machi) 2.14cm
Fukura-haba (width at Fukura) 1.7cm
Nakago length: 24.8cm
Engraving: "Hoso-hi" on the back face(Ura)
Wooden case (Shirasaya)

Shu tataki nuri "Dai" monji nari saya,
Yari koshirae
 Whole length: 129cm
 Scabbard length: 29cm

Tokubetsu-Hozon certificate by NBTHK
Price 600,000 JPY

 相模守政常は槍の名手として遍く知られている。江戸初期、尾張徳川家に仕えた政常は、美濃兼常家の出身で初銘を兼常と切り、分家して清洲城下に住み、後に政常と改銘した(注①)。清洲時代には織田信長と関ケ原の功で清洲城主となった家康四男の松平忠吉に仕えた。その作中に「進上福嶋掃部守様十本内」と切銘された平三角槍(注②)が遺されているように、顧客には猛将福島正則の弟高晴があり、政常の槍が武将の篤い信頼を得ていた事がわかる。
 表題の作は相模守政常が得意とした平三角直槍。塩首で力強く踏ん張って元幅広く、刺突の効用を考慮して先が自ずから細く、鎬筋が凛と起ち、差裏に細樋が掻かれ、姿は精悍にして鋭利。小板目鍛えの地鉄は刃寄りに柾気を配して詰み、小粒の地沸が均一に付いて冷たく澄む。直刃の刃文は、つぶらで輝きの強い小沸が厚く付いて刃縁が明るく、刃境に小形の金線、短い筋状の湯走りが掛かり、刃中には沸筋が流れ、物打付近には喰い違い刃が現れて、処々二重刃ごころとなり、刃中も沸付いて明るく、葉も浮かび、変化は多彩。焼の深い帽子は丸く返って鎬筋を長く焼き下げ、塩首の四つ角にも焼が施されているのは堅牢さを求める勇将の注文であろうか、至極入念な刃採。茎は製作時そのままの生ぶで、太鑚で刻された銘字は一画一画鮮明。出来優れ、槍上手の相模守政常らしい一筋となっている。
 大の字形の朱叩塗鞘手槍拵が付されている。

注①天正十九年豊臣秀吉の甥の関白秀次の推挙により相模守を受領し、兼常から政常と改銘(『美濃刀大鑑』)。

注②『刀剣銘字大鑑』高晴は正則の十二歳下の弟。関ケ原の戦功で大和松山城主となる。