冠落造短刀
銘 金剛兵衛丞盛髙
Tato(Kanmuri otoshi zukuri)
Kongo hyoe no jo MORITAKA

筑前国 応永頃 約六百年前

刃長 九寸四分五厘
元幅 八分八厘
ふくら幅 七分五厘
重ね 二分八厘厘
彫刻 表裏 細樋掻流し・添樋
金着一重ハバキ 白鞘付

黒笛巻塗鞘小さ刀拵入
拵全長 二尺
柄長 四尺八分

平成十五年栃木県登録

特別保存刀剣鑑定書(応永頃)
八十万円(消費税込)

Chikuzen province
Oei era
(A.D.1394-1427, early Muromachi period)
About 600 years ago

Hacho(Edge length) 28.5cm
Moto-haba(Width at ha-machi) approx. 2.67cm
Fukura-haba(Width at fukura) approx. 2.3cm
Kasane (Thickness) approx. 0.85cm
Engraving: "Hoso-hi"kaki-nagashi with "Soe-hi"
on the both sides

Gold foil single Habaki / Shirasaya

Kuro fuemaki nuri saya,chisagatana koshirae
Whole length approx. 60.6cm
Hilt length approx. 14.5cm

Tokubetsu-Hozon by NBTHK
(Oei era)
Price 800,000 JPY

 吉盛、盛匡、盛清など盛の字を通り名とした金剛兵衛鍛冶は、大宰府に近い宝満山麓に鍛冶場を設けたことから、竈門神社の号宝満金剛に因んで金剛と名乗り、その石塔を模して茎先を剣形に仕立てた。中でも盛高は金剛兵衛の最も古い名跡の一つ。『日本刀銘鑑』によれば、鎌倉後期永仁頃の盛高、正宗に学んだ嘉暦頃の盛高、正平年紀のある盛高がおり、通常見る盛高は「大宰府住」と切銘した応永の金剛兵衛丞盛髙以降の工である。
 応永盛高のこの短刀は、身幅の割に寸法が延びて無反りの、室町初期の典型的な姿(注①)で、茎の先が僅かに切られるも殆ど生ぶ(注②)。棟を真に造り、重ねは極厚で、腰元に細樋が掻かれ、物打付近の鎬地の肉が削がれた鋭利で精悍な体配。小板目鍛えの地鉄は小杢、流れごころの肌を交え、一部に鍛着の疎なる部分を交えるも総じて詰み、刃寄り黒く澄んで直調の映りが立ち、白く輝く微塵の地沸で覆われ、金剛兵衛らしい柔らかくも潤い感のあるねっとりとした地鉄となる。細直刃の刃文は微かな小互の目を交えて浅く揺れ、帽子は小丸に返る。焼刃は、淡雪のような沸で刃縁が明るく、小さな喰い違い、絡みつくような金線を交え、無数の小足が入り、刃中が水色に澄む。細鑚の銘字にも古雅な味わいがある。六百年の歳月を経て今ここにある、典型的で出来優れた一口である。
 笛巻塗鞘の拵は万年青(おもと)図目貫、瑞鳥図縁頭、波千鳥図の薩摩鐔、後藤の懸守図小柄で装われ、漆黒に金色が映える趣向とされている。

注①室町将軍と守護大名の力は拮抗し、陰謀・抗争の芽は常にあり、武士たちは寸延び短刀を腰に、いざという時に備えていた

注②現状より一糎程長く、先端は卒塔婆を想わせる剣形であったはずである。