短刀
刻銘 兼永(河村兼永)
Tanto
[Koku-in]KANENAGA
(Kawamura Kanenaga)

岐阜県 大正末~昭和初期 約百年前

刃長 九寸四分
元幅 一寸五厘
棟重ね 二分
彫刻 裏 三十六歌仙図毛彫
白鞘入 兼永自筆鞘書(注①)

平成十九年神奈川県登録

Kawamura Kanenaga
Gife prefecture
Late Taisho era - early Showa era
About 100 years ago

Hacho(Edge length) 28.5cm
Moto-haba(Width at ha-machi) approx. 3.18cm
Kasane (Thickness) approx. 0.61cm
Engraving: "36 ka sen" on the back face(Ura)

Calligraphy on the Shirasaya
written by the author himself

 片側の刃先に鎬が立てられて片切刃造とされた、大小刀ともいうべき造り込みの短刀。地鉄は小板目肌が柾がかり、尖りごころの互の目乱刃が明るい。刀身の裏の文字彫刻は三十六歌仙の和歌と作者名。柿本人麻呂の「ほのぼのと明石の浦の朝霧にしまかくれゆく舟をしぞおもふ」に始まり、山部赤人「和歌の浦しほみちくれバ片男浪あしへをさしてたつ鳴わたる」、在原業平「世の中にたえて桜のなかりせバ春のこころはのどけからまし」、清少納言の父清原元輔の「秋の野の萩のにしきを故郷に鹿のねながらうつしてしがな」と続く合計三十六首。身幅広しといえども、これだけの文字を細密に刻するのは至難(注②)。しかもその下に集合写真よろしく三十六歌仙の姿が鮮やかに浮かび上がっている。 
 驚異のこの手技は昭和に岐阜県関市で活躍した兼永刀匠によるもの。茎は関鍛冶らしく細かな檜垣鑢が掛けられ、草書体の印銘が刻されている。兼永は名を河村永次郎といい、明治二十年四月二十日生まれ。緻密な彫刻を得意としたという(『美濃刀大鑑』)。表題の短刀はまさに兼永刀匠本領発揮の一口といえよう。細密な彫技と意欲的な造形から同匠の青壮期、則ち大正末から昭和初めにかけて作であろうか。鞘書も兼永刀匠の自筆である。

注①…「細彫三十六歌仙 奈良太郎兼永作」と自筆鞘書がある。

注②…一文字が一ミリ前後。