美濃国 大永頃 約五百年前
刃長 八寸七分七厘
内反り僅少
元幅 七分七厘
重ね 一分七厘
彫刻 表裏 腰樋掻流し
金着二重ハバキ 白鞘入
茶潤塗鞘合口短刀拵入
拵全長 一尺三寸四分
柄長 三寸三分
昭和三十九年愛媛県登録
特別保存刀剣鑑定書
Mino province
Taiei era(A.D.1521-1527, late Muromachi period)
About 500 years ago
Ha-cho (Edge length) 26.6cm
Slightly curved inward
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 2.33cm
Kasane (thickness) approx. 0.52cm
Engraving: "Koshi-hi" kaki-nagashi on the both sides
Gold foil double Habaki
Wooden case (Shirasaya)
Cha urumi nuri saya, aikuchi tanto koshirae
Whole length:approx. 40.6cm
Hilt length:approx. 10cm
Tokubetsu-Hozon certificate by NBTHK
兼在(かねあり)は室町期の美濃刀工。『日本刀銘鑑』には関善定門の永享頃の室屋左衛門五郎、長禄頃の兼在、延徳頃の室屋右衛門五郎、天正頃の室屋右衛門五郎が載せられ、また濃刕関住人兼在銘の文亀三年二月日紀の直刃の刀(六十六回重要刀剣)があり、戦国期最大の業物作者関孫六兼元と同時期に活躍した兼在も実在していることがわかる。
表題の短刀は孫六兼元にもある「濃州赤坂住」の住居銘があり、製作も孫六と同時期の大永頃とみられ、身幅充分で重ね薄く、僅かに内反りが付き、表裏に腰樋が掻かれて凛とした造り込み。地鉄は板目に杢、流れごころの肌を交えて肌目が鮮明に現れ、関映りが立つ温潤味のある味わい深い肌合い。胸を締め付けるような細直刃の刃文は、白雪のような小沸で刃縁が締まってきっぱりと冴え、刃中も澄んで水色を呈する。帽子は端正な小丸。「濃州赤坂住」の住居銘は孫六兼元の大永八年八月日紀の刀の住居銘に酷似し、「兼」「作」の銘形も近似。兼元は関から美濃赤坂(不破郡赤坂 現大垣市)に移住し、同地産の極上の赤鉄鉱で作刀と伝える(注)。兼在は恐らく孫六と有縁で、本作も赤坂の極上の赤鉄鉱で精鍛されたのであろう、出来が抜群に優れている。家紋図目貫と秋草図の古寂な小柄の付された茶潤塗鞘の上品な拵に収められている。
注…赤坂には東大寺領大井荘があり、美濃千手院派の本拠。孫六兼元と赤坂については、鈴木卓夫先生『室町期美濃刀工の研究』に詳しい。