刃長 七寸六厘
元幅 六分七分強
重ね 二分
銀色絵一重ハバキ 白鞘入
鞘書 明治帝室技芸員宮本包則作
長男平馬守刀
大日本武徳会剣道範士中山博道先生寄贈
父陸治記之
Hacho (Edge length) 21.4㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx. 2.03㎝
Kasane (Thickenss) approx. 0.61㎝
宮本包則は天保元年伯耆国の生まれ。嘉永四年横山祐包に入門して作刀を学び、業成って安政五年に独立し、因州池田家に仕えた。有栖川宮熾仁親王の知遇を得て明治天皇の御剣、伊勢神宮の宝刀、正倉院の宝剣などを手掛け、明治三十九年には帝室技芸員を拝命した月山貞一と並ぶ近代の名手である。
振袖茎に仕立てられたこの短刀は、鎌倉末期の備前景光を念頭に精鍛されたとみられる、古風な趣に包まれた一口。地鉄は表が小板目に柾目肌を交え、裏は小板目肌が無類に詰み、表裏とも地沸が微塵に付き、焼刃に感応して乱れごころの映りが立つ。刃文は片落ち風の刃を交えた小互の目乱で、帽子は乱れ込んで掃き掛けて返る。匂口の柔らかな焼刃は、焼頭から地中に煙り込むような働きも顕著に現れ、匂で澄んだ刃中には小足が盛んに入り、繊細なほつれ、金線、砂流しが濃密に働く。
茎の銘文は「贈為赤星平馬君中山博道」と読まれ、中山博道より赤星陸治の長男赤星平馬の守刀として贈られたことがわかる。中山博道は旧加賀藩右筆中山源之丞の八男として生まれ、神道無念流剣術、夢想神伝流居合、神道夢想流杖術を修め、大日本武徳会から初めて剣術、居合術、杖術の三道で範士号を授与された達人。赤星平馬は三菱地所会長赤星陸治の子息で、後、三菱財閥系の小岩井農牧社長を務めた。因みに三菱財閥総裁岩崎小弥太は中山博道の後援者でもあり、赤星陸治自身も東京大学剣道部に所属の剣士。中山と赤星の間に深い縁があったのは明らか。中山博道と赤星、そして三菱財閥の関わりを伝える、資料的価値の高い一口である。
注…表の平地に三か所、裏の刃中に三か所ほど小さい鍛え割れ傷がある。