脇差
銘 荘司次郎太郎藤原直勝
嘉永五年十一月日

Wakizashi
Sig. Shoji JiroTaro Fujiwara no NAOKATSU
Kaei 5 nen 11 gatsujitsu


武蔵国 嘉永 百七十一年前 四十九歳作

刃長 一尺五寸八厘
反り 二分六厘
元幅 九分四厘
先幅 六分六厘
重ね 一分七厘
鎬重ね 二分

金着一重ハバキ 白鞘付

黒石目地塗鞘脇差拵入
拵全長 二尺二寸九分
柄長 五寸二分八厘

昭和三十七年北海道登録
特別保存刀剣鑑定書

Musashi province
Kaei 5 (A.D.1852, late Edo period)
171 years ago / Work at his 49 years old

Hacho (Edge length) 45.7cm
Sori(Curvature) 0.8cm
Moto-haba (Width at Ha-machi) 2.86㎝
Saki-haba (Width at Kissaki) 2.02cm
Kasane(Thickness) 0.61cm

Gold foil single Habaki / Shirasaya

Kuro ishimeji nuri saya, wakizashi koshirae
Whole length: 69.4cm
Hilt length: 16cm

Tokubetsu-hozon by NBTHK

 荘司次郎太郎直勝は江戸後期の名工大慶直胤の技術継承者。文化二年に上総国山辺郡台方村花輪(東金市)の生まれで、本名を伊藤正勝という(注①)。文政二年十五歳で直胤に入門し、江戸下谷御徒町の直胤宅(注②)で修業し、才能と人格を見込まれ、後に娘婿に迎えられている。直胤直伝の技術に独創を加え、備前伝と相州伝を得意とし「直胤に勝るの評がある(注③)」名手と謳われた。
 この脇差は備前古作を手本としながらも操作性を突き詰めた尋常な身幅重ねで、適度に反って中鋒の洗練された造り込み。小杢目鍛えの地鉄は細かな地景が躍動して緻密に肌起ち、地沸が微塵に付いて潤い晴れやかな鉄色を呈す。互の目丁子乱の刃文は、鎌倉後期の備前長舩景光に倣ったもので随所に片落ち風の刃が配され、粉雪のような沸で刃縁が頗る明るく、焼頭の処々が千切れて飛焼状に地を焼いて変化に富み、沸で明るい刃中には刃境からの金線、砂流しが足を遮るように掛かり、殊に差表の物打付近には稲妻風の金筋と長い沸筋が覇気に満ちた景色を生み出している。帽子は鮮烈に乱れ込んで小丸に返る。茎には銘字が細鑚で一画一画丁寧に刻されている。ペリー来航の直前に製作された、直勝の技量の高さがよく示された優品である。
 古代中国の聖人蘇東坡を描いた縁頭と遊馬図目貫、小柄、牡丹図鐔で装われた拵が付されている。

注①占い師は「金物を取扱う業につけば、将来の成功間違いなし」と占った(『東金市史』)。

注②江戸切絵図の和泉橋付近に「庄司ミノ平」と表記が見える。現台東区上野五丁目1番地11(福永酔剣先生『刀工遺跡めぐり三三〇選』)。

注③藤代版『日本刀工辞典新刀篇』直勝の項。

脇差 銘 荘司次郎太郎藤原直勝 嘉永五年十一月日脇差 銘 荘司次郎太郎藤原直勝 嘉永五年十一月日脇差 銘 荘司次郎太郎藤原直勝 嘉永五年十一月日白鞘

黒石目地塗鞘脇差拵 脇差 銘 荘司次郎太郎藤原直勝 嘉永五年十一月日黒石目地塗鞘脇差拵 脇差 銘 荘司次郎太郎藤原直勝 嘉永五年十一月日

脇差 銘 荘司次郎太郎藤原直勝 嘉永五年十一月日 差表切先脇差 銘 荘司次郎太郎藤原直勝 嘉永五年十一月日 差表中央脇差 銘 荘司次郎太郎藤原直勝 嘉永五年十一月日 差表ハバキ上

脇差 銘 荘司次郎太郎藤原直勝 嘉永五年十一月日 刀身差裏切先脇差 銘 荘司次郎太郎藤原直勝 嘉永五年十一月日 差裏中央脇差 銘 荘司次郎太郎藤原直勝 嘉永五年十一月日 差裏ハバキ上


 

脇差 銘 荘司次郎太郎藤原直勝 嘉永五年十一月日ハバキ