銘 石堂運壽是一造
嘉永七年二月日

Katana
Ishido Unju KOREKAZU tsukuru
Kaei 7 nen 2 gatsubi


武蔵国 嘉永七年 三十五歳作 百六十九年前

刃長 二尺五寸八厘
反り 六分二厘
元幅 一寸七厘
先幅 七分
棟重ね 二分
鎬重ね 二分四厘
金着二重ハバキ 白鞘付

黒漆塗鞘天正拵入
拵全長 三尺七寸
柄長 八寸

平成二十六年福島県登録
特別保存刀剣鑑定書

Unju KOREKAZU
Musashi province
Kaei 7, (A.D.1854,late Edo period)
169 years ago, Work at his 35 years old

Hacho (Edge length) 76㎝
Sori (Curvature) approx. 1.88㎝
Motohaba (Width at Ha-machi) approx. 3.24㎝
Sakihaba(Width at Kissaki) approx.2.12㎝
Kasane (Thickenss) 0.73㎝

Gold foil double Habaki / Shirasaya

Kuro urushi nuri saya, Tensho koshirae
Whole length: approx. 112.1cm
Hilt length: approx. 24.3cm

Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK

 嘉永六年六月、黒船に泰平の眠りを覚まされた幕府は、江戸湾岸の防備を固めるべく諸大名を配置した。品川第二台場の守護を拝命した会津藩主松平容保は、芝金杉浜町に金杉陣屋(注①)を設営し、藩工角元興を呼び寄せ、さらに元興の師で幕府御用を勤めた石堂運壽是一(これかず)を(注②)招聘し、両工の合作刀(注③)を打たせて攘夷への強い意気込みを示した。
 この刀は、金杉陣屋での元興と是一の作刀を耳にした会津藩士(注④)の需めで鍛造された、二尺五寸を超える大作。身幅広く両区深く重ね厚く、鎬筋強く張り、反り高く中鋒に造り込まれた洗練味ある姿。しかも研数をさほど経ず、生ぶ刃が遺された健全無比の一振。地鉄は鎬地に柾目肌が美しく流れ、平地は小板目に流れごころの板目肌を交えて詰み澄み、地景が密に入って綺麗に肌起ち、地沸が厚く付いて鉄の冴えた美しい肌合いとなる。互の目丁子乱の刃文は焼高く、しかも焼頭が鬩ぎ合って重花ごころに変化する華麗な構成で、新雪のような小沸で刃縁が明るく、長い足が射し、刃境に砂流しが微かに掛かり、細かな沸の粒子が充満して刃中の照度は高い。焼を充分に残した帽子は乱れ込んで突き上げ、僅かに掃き掛けて小丸に返る。茎の仕立ては極めて丁寧で、銘字が謹直に刻されている。ペリー再来航の翌月、難局に立ち向かう武士の覚悟に応えて、是一が懸命に鎚を振るって応えた、出来優れた雄刀である。
復古思想の武士の需による、黒蝋色塗鞘に頑強な鉄鐔を掛け、山銅地の小柄笄を備え、藍で染めた革巻柄の天正拵が附帯している。


注①…現在の港区芝浦一丁目付近である。
注②… 是一は長運斎綱俊の実子で、石堂是一家の七代目を継承した。是一には江戸町奉行遠山金四郎景元のために打った嘉永元年八月日紀の大小がある(『首斬り浅右衛門刀剣押形』上)。
注③…「両葉薙奥刕會津若松住角源元興於武州江戸芝金杦営鍛焉石堂運壽是一淬之」とあり、山田浅右衛門の試銘入りの安政六年紀の刀がある(『銀座情報』二百八十四号掲載)。
注④…登録は福島県九十号と初年度登録の中でも特に若い番号であり、会津藩上級武士の所持の可能性が高い。


刀 銘 石堂運壽是一造 嘉永七年二月日刀 銘 石堂運壽是一造 嘉永七年二月日刀 銘 石堂運壽是一造 嘉永七年二月日 白鞘

黒漆塗鞘天正拵 刀 銘 石堂運壽是一造 嘉永七年二月日黒漆塗鞘天正拵 刀 銘 石堂運壽是一造 嘉永七年二月日

刀 銘 石堂運壽是一造 嘉永七年二月日 差表切先刀 銘 石堂運壽是一造 嘉永七年二月日 差表中央刀 金象嵌銘 寶壽(花押) 差表ハバキ上

刀 銘 石堂運壽是一造 嘉永七年二月日 差裏切先刀 銘 石堂運壽是一造 嘉永七年二月日 差裏中央刀 銘 石堂運壽是一造 嘉永七年二月日 差裏ハバキ上



 


刀 銘 石堂運壽是一造 嘉永七年二月日 ハバキ

是一押形