おそらく造短刀
銘 千里昭久
昭和五十六年初冬

Tanto (Osoraku-zukuri)
Sig. Senri AKIHISA
Showa 56 nen shoto


新潟県刈羽郡 山上昭久 七十一歳作

刃長 七寸八分五厘
反り 一分六厘
元幅 八分五厘
先幅 八分九厘
棟重ね一分四厘
鎬重ね一分六厘
彫刻 表裏 棒樋掻き流し

銀無垢一重ハバキ 白鞘入

昭和五十六年新潟県登録

Swordsmith: Yamagami AKIHISA
Lived in Kariwa city, Nigata prefecture
Foged in 1981 (Showa 56) / Work at his 71 years old

Hacho (Edge length) 23.8cm
Curvature 0.5cm
Moto-haba (Width at Ha-machi) 2.6㎝
Saki-haba (width at Kissaki) 2.71mm
Kasane (Thickness) 0.5㎝
Engraving: "Bo-hi" kaki-nagashi on the both sides

Pure silver single Habaki / Shirasaya

 昭久師は明治四十三年新潟県刈羽郡の生まれ。名を山上重次(注①)という。笠間繁継に就いて備前伝を修め、昭和九年に独立し、大戦中は陸軍受命刀工を勤めた。戦後は古釘や鍋等を卸して地鉄造りを研究し、精良な地鉄に丁子乱刃の冴えた佳作を手掛けている。
 この短刀は、鋒が大きく延び、ふくらがやや枯れて鋭利な陰影を成す「おそらく造」の体配で、本歌は島田助宗の刃長七寸六分の短刀(注②)。地鉄は小板目肌の地底に細かな地景が蠢き、殊に差裏に黒い稲妻状の地景が入り、肌目が緻密に起って生気に満ち微細な地沸が均一について鉄色晴々としている。昭久師の熟練の技が発揮され、地鉄造り研究の成果を感じさせる出来。丁子乱の刃文は丸みのある刃、尖りごころの刃を交えて高低変化し、ふわりとついた小雪のような沸で刃縁明るく、焼の谷から零れた沸は足となり、刃中に微細な沸の粒子が充満して焼刃冴える。帽子は乱れ込んで突き上げごころに返る。茎は製作時そのままに未だ白銀色に輝き、横鑢が丁寧に掛けられ、銘字が入念に刻されている。本歌を範に昭久刀匠の独自性が加味され、颯爽たる優品となっている。

注①「千里」の号は重次の重を千と里にわけたもの。

注②武田信玄の右手差で、後、太閤秀吉の懐刀片桐且元、さらに豊前中津藩主奥平家に伝来した。これを清麿が範として打ったことは有名。昭久師のこの短刀も清麿を写したものであろう。

おそらく造短刀 銘 千里昭久 昭和五十六年初冬おそらく造短刀 銘 千里昭久 昭和五十六年初冬おそらく造短刀 銘 千里昭久 昭和五十六年初冬 白鞘

 

おそらく造短刀 銘 千里昭久 昭和五十六年初冬 差表切先おそらく造短刀 銘 千里昭久 昭和五十六年初冬 刀身差裏切先

 

おそらく造短刀 銘 千里昭久 昭和五十六年初冬 ハバキ