刀 生ぶ茎無銘 新々刀海部

Katana
no sign (Ubu-nakago)
Shinshinto KAIFU


阿波国 文久 百五十年前

刃長 二尺四寸九分四厘
反り 六分六厘
元幅 一寸四厘
先幅 六分四厘
棟重ね 二分七厘
鎬重ね二分三厘
金着一重ハバキ 白鞘付

黒蝋色塗鞘打刀拵入
拵全長 三尺五寸四分七厘
柄長 八寸五分四厘

昭和四十七年千葉県登録

保存刀剣鑑定書(新々刀海部)

Awa province
Bunkyu era (A.D.1861-1864, late Edo period)
About 150 years ago

Hacho (Edge length) 75.6cm
Sori (Curvature) 2.0cm
Moto-haba (Width at Ha-machi) 3.16㎝
Saki-haba (Width at Kissaki) approx.1.95cm
Kasane (Thickness) approx. 0.84㎝
Gold foil single Habaki / Shirasaya

Kuro ro-iro nuri saya, uchigatana koshirae
Whole length approx. 107.5cm
Hilt length approx. 25.9cm

Registered in Chiba (1972)

Hozon certificate by NBTHK
(Shinshinto Kaifu)

 

 新々刀海部と極められた無銘の刀。海部といえば、戦国時代に、阿波細川氏の家臣で室町将軍と渡り合い、畿内に覇を唱えた勇将三好長慶の「岩切海部」と号した阿州氏吉作の刀が著名。阿波南部の海部城下に居住した氏吉の刀は切れ味優れて刃毀れしない、肥後同田貫の如き威力で鳴らした(注①)。江戸時代、徳島城下で代を重ねた海部氏吉家が再び脚光を浴びるのは黒船来航以降の幕末。抜群の刃味と頑強な海部刀は新時代を切り開かんとする武士の意に叶った。因みに幕末の土佐で鍛刀するに飽き足らず、時代の熱情に駆られ、自ら武市半平太の土佐勤王党に参加した中島氏詮も、実は江戸前期に土佐に来た海部氏次の末裔(注②)。戦国に活躍した海部鍛冶は幕末動乱期に再び存在感を示したのである。
 この刀は、ほぼ二尺五寸の長刀で、まさに土佐勤王党の武士好みの雄刀。身幅広く棟重ね極めて厚く、頃合いに反って中鋒に造り込まれ、激しい打ち合いにも耐える頑健な構造。地鉄は小板目肌が詰み澄み、中直刃の刃文は小沸が付いて刃縁きっぱりとし、刃中も澄み、刃味の良さを窺わせる。焼深い帽子は僅かに返る。
 付帯する黒蝋色塗鞘打刀拵は、金覆輪の秋草図鐔が付されて見栄えよく、赤銅に金銀素銅の色絵で描かれた夫婦鹿図目貫と紅葉に鹿角図縁頭が「秋野に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき」の古歌を連想させ、何とも風情がある。

注①『阿波の刀工』参照。

注②二尺五寸四分の直刃の文久三年紀の刀がある(『銀座情報』四三二号)。

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刀 生ぶ茎無銘 新々刀海部 ハバキ