肥前国 嘉永 百七十三年前 五十一歳作
刃長 二尺四寸三分八厘
反り 四分六厘
元幅 一寸四厘
先幅 七分四厘
棟重ね 二分二厘
鎬重ね 二分四厘
金着二重ハバキ 白鞘入
横山学著『肥前刀備忘録』所載
平成元年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
Higo province
Kaei 4(A.D.1851, late Edo period)
173 years ago, Work at his 51 years old
Hacho(Edge length) 73.87cm
Sori(Curvature) approx.1.39cm
Moto-haba(Width at Ha-machi) approx. 3.15cm
Saki-haba(Width at Kissaki) approx. 2.24cm
Kasane (Thickness) approx. 0.73cm
Gold foil double Habaki / Shirasaya
Published in "Hizen-to bobiroku"
Tokubetsu-Hozon by NBTHK
嘉永四年二月の肥前國忠吉八代の刀。前年、佐賀藩は反射炉を造営している。反射炉とはアーチ形に作られた天井で熱を反射させ高温状態を生み出す西洋式の溶鉱炉のことで、この炉による製鉄で鋳造した大砲を湾岸に配備し、異国船襲来に備えたのである。だが、反射炉事業には熟練した鍛鉄技術を持った人材が絶対に必要であった。そこで藩主直正が目を付けたのが佐賀城下長瀬町の肥前國忠吉八代。直正から洋式鉄製大砲の研究を命じられた忠吉は、洋書から得た知識と肥前國忠吉初代以来の鍛刀技術を駆使して反射炉事業に尽力(注)したのであった。
この刀は身幅広く鎬筋の線が凛と立ち、頃合いに反って中鋒の、肥前刀らしい洗練味のある姿。小板目鍛えの地鉄は地景が網状に入って肌起ち、粒立った地沸が厚く付いた潤い感のある美しい小糠肌。直刃の刃文は浅く揺れ、新雪のような沸で刃縁が明るく、小足と葉が無数に入り、刃中は匂で澄みわたる。帽子は小丸に返る。浅い勝手上がり鑢が掛けられた茎には初代と同じ五字銘と年紀が刻されている。ペリー来航を二年後に控えた年の作で、初代に見紛うような、直刃出来の傑作となっている。
注…伊豆韮山代官江川英龍も反射炉事業で刀工大慶直胤の協力を得た(小島つとむ「伊豆韮山代官・江川太郎左衛門英龍と大慶直胤 (上)(下)~その密な交流に垣間見る江戸後期の日本~」『刀剣美術』七〇七号七〇八号参照)。