平造脇差
銘 河原田次治應需
田名部清知造

Hira-zukuri wakizashi
Sig. Kawarada Tsuguharu no motome ni oji
Tanabe KIYOTOMO tsukuru


出羽国 安政頃 約百六十五年前

刃長 一尺一寸六分
反り 五厘
元幅 九分四厘
重ね 二分四厘

銀無垢二重ハバキ 白鞘入

昭和二十九年秋田県登録(4092号5月17日)

保存刀剣鑑定書

価格 二十八万円(消費税込)

Dewa province
Ansei era
(A.D.1854-1859, late Edo period)
About 165 years ago

Hacho (Edge length) 35.15cm
Sori (Curvature) 0.15cm
Moto-haba (Width at Ha-machi) 2.85㎝
Kasane (Thickness) 0.74㎝

Pure silver double Habaki / Shirasaya

Hozon certificate by NBTHK

Price 280,000 JPY

角館の名士河原田氏の歴史を物語る一振

 槍を得意とした角館の刀工田名部清知(きよとも注①)が河原田次治の注文で打った平造脇差。河原田氏は角館の有力武士。元祖盛光は平将門を倒した藤原秀郷の後胤小山政光の五男で、文治五年頼朝の奥州合戦で活躍し会津伊南に所領を得た。戦国期の盛次は蘆名義廣の旗下で天正十八年伊達政宗の軍勢を破り勇名を馳せ、秀吉の天下統一後は蘆名義廣と共に秋田佐竹家に迎えられ角館へ移住。蘆名氏の断絶後は佐竹義隣に始まる北家に仕え、幕末、数馬が角館郷校弘道書院教授を勤め、明治期の当主次亮は県会議員。その長男次重は農政推進と発電業に取り組み、角館の発展に大きく貢献している(注②)。
 この平造脇差は安政頃の作とみられ、河原田数馬の子弟次治が室内での危急に備えて所持した一振で、身幅の割に寸延び重ね厚く、反り僅かにつき精悍な姿。小杢目肌の地鉄は無類に詰み、微塵の地沸で鉄色が明るい。互の目の刃文は刃縁が小沸で明るく、足太く入り、刃境に湯走りかかり、刃中は匂で澄む。帽子は浅く乱れ込み小丸に返る。茎は錆浅く、銘字に鑚枕が立つ。藤原秀郷以来の知勇の血脈と開拓精神で角館に尽くした河原田氏と郷土の刀工清知の足跡を伝える貴重な文化資料である。

注①『秋田の鐔工と刀工の研究』)。

注②秋田県仙北市角館町に今も残る河原田住宅は仙北市指定史跡指定である。

平造脇差 銘 河原田次治應需 田名部清知造平造脇差 銘 河原田次治應需 田名部清知造

平造脇差 銘 河原田次治應需 田名部清知造 白鞘

平造脇差 銘 河原田次治應需 田名部清知造 差表切先平造脇差 銘 河原田次治應需 田名部清知造 刀身差表ハバキ上

平造脇差 銘 河原田次治應需 田名部清知造 刀身差裏切先平造脇差 銘 河原田次治應需 田名部清知造 刀身差裏ハバキ上

平造脇差 銘 河原田次治應需 田名部清知造 ハバキ