菊池槍
無銘 筑紫了戒

Kikuchi-yari
no sign Chikushi RYOKAI


豊前国 室町前期 文安頃 約575年前

穂長 九寸九分
内反り僅少
元幅 七分六厘
重ね 二分六厘

素銅一重ハバキ 白鞘入

本阿弥長識鞘書「波平安重」「代金貮拾五枚」

平成七年神奈川県登録

保存刀剣鑑定書 (筑紫了戒)

Buzen province
early Muromachi period, Bun'an era (A.D.1444-1449)
about 575 years ago

Hacho (Edge length) 30cm
A little curved goes to inner (Uchizori kinsho)
Moto-haba (Width at Ha-machi) 2.3㎝
Kasane (Thickness) 0.8㎝

Suaka single Habaki
Calligraphy on the Shirasaya,
written by Hon'ami Choshiki
"Naminohira Yasushige" "Dai Kin 25 mai"

Hozon certificate by NBTHK (Chikushi Ryokai)

中程から先の鎬地の肉が削ぎ落され、上から見ると鵜が首を伸ばしたように見える特異な造形。実は長柄に付して用いられた槍で、南北朝動乱期、肥後の菊池武光が考案して延壽鍛冶に造らせた作に始まって「菊池槍」として珍重されている。鎌倉後期の蒙古襲来の影響は大きく、鎌倉末期から南北朝にかけ、鎌倉幕府の屋台骨を揺るがす争乱が勃発。そこに登場した菊池槍は驚異の威力を発揮。これに上級武士が注目し、改良され、室町時代には平三角槍や笹穂槍、十字槍等、多様な槍が登場。武士たちはこれを手挟んで戦場を疾走したのである。
 表題の槍は南北朝期の菊池槍を踏襲した典型的な作で、山城国から豊前国宇佐へ移住した能真に代表される、所謂筑紫了戒と極められている。身幅控えめに重ね頗る厚く、僅かに内に反り、刺突の利便性が最大限に高められた鋭利な姿。地鉄は柾目肌強く流れ、地沸厚くつき九州物らしいねっとりとした柔らかい肌合いとなり、淡く白気映り立つ。刃文は直刃調、刃区上で焼き落とされ、刃縁に小沸付いて刃境に湯走り、ほつれ、二重刃かかり、小模様に変化。帽子は浅く返る。先祖伝来の菊池槍として大切にされて来たものであろうか。明治二十六年五月、本阿弥長識師の「波平安重」「代金貮拾五枚」との鞘書に旧主の遺愛を偲ばせている。

注①筑紫了戒は室町初期より宇佐八幡宮の程近くに住し栄えた。山城了戒久信の流れを汲む能定や能真等がいる。

菊池槍 無銘 筑紫了戒菊池槍 無銘 筑紫了戒

菊池槍 無銘 筑紫了戒 白鞘 本阿弥長識鞘書菊池槍 無銘 筑紫了戒 白鞘 本阿弥長識鞘書

菊池槍 無銘 筑紫了戒 差表切先菊池槍 無銘 筑紫了戒 刀身差表ハバキ上

菊池槍 無銘 筑紫了戒 刀身差裏切先菊池槍 無銘 筑紫了戒 刀身差裏ハバキ上

菊池槍 無銘 筑紫了戒 ハバキ