穂長 九寸九分
内反り僅少
元幅 七分六厘
重ね 二分六厘
素銅一重ハバキ 白鞘入
本阿弥長識鞘書「波平安重」「代金貮拾五枚」
平成七年神奈川県登録
保存刀剣鑑定書 (筑紫了戒)
Hacho (Edge length) 30cm
A little curved goes to inner (Uchizori kinsho)
Moto-haba (Width at Ha-machi) 2.3㎝
Kasane (Thickness) 0.8㎝
Suaka single Habaki
Calligraphy on the Shirasaya,
written by Hon'ami Choshiki
"Naminohira Yasushige" "Dai Kin 25 mai"
Hozon certificate by NBTHK (Chikushi Ryokai)
中程から先の鎬地の肉が削ぎ落され、上から見ると鵜が首を伸ばしたように見える特異な造形。実は長柄に付して用いられた槍で、南北朝動乱期、肥後の菊池武光が考案して延壽鍛冶に造らせた作に始まって「菊池槍」として珍重されている。鎌倉後期の蒙古襲来の影響は大きく、鎌倉末期から南北朝にかけ、鎌倉幕府の屋台骨を揺るがす争乱が勃発。そこに登場した菊池槍は驚異の威力を発揮。これに上級武士が注目し、改良され、室町時代には平三角槍や笹穂槍、十字槍等、多様な槍が登場。武士たちはこれを手挟んで戦場を疾走したのである。
表題の槍は南北朝期の菊池槍を踏襲した典型的な作で、山城国から豊前国宇佐へ移住した能真に代表される、所謂筑紫了戒と極められている。身幅控えめに重ね頗る厚く、僅かに内に反り、刺突の利便性が最大限に高められた鋭利な姿。地鉄は柾目肌強く流れ、地沸厚くつき九州物らしいねっとりとした柔らかい肌合いとなり、淡く白気映り立つ。刃文は直刃調、刃区上で焼き落とされ、刃縁に小沸付いて刃境に湯走り、ほつれ、二重刃かかり、小模様に変化。帽子は浅く返る。先祖伝来の菊池槍として大切にされて来たものであろうか。明治二十六年五月、本阿弥長識師の「波平安重」「代金貮拾五枚」との鞘書に旧主の遺愛を偲ばせている。注①筑紫了戒は室町初期より宇佐八幡宮の程近くに住し栄えた。山城了戒久信の流れを汲む能定や能真等がいる。