脇差
銘 横山伊勢守祐平造之
備陽長舩住人

Wakizashi
Sig. Yokoyama Isenokami SUKEHIRA kore wo tsukuru
Biyo Osafune junin


備前国 寛政頃 約二百三十年前

刃長 一尺七寸八分八厘
反り 四分
元幅 九分八厘
先幅 七分五厘
棟重ね 二分二厘
鎬重ね 二分五厘

金着一重ハバキ 白鞘付

腰刻朱変り塗鞘脇差拵入
拵全長 二尺四寸七分
柄長 五寸七分

昭和四十九年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書

価格 五十五万円(消費税込)

Bizen province
Kansei era (A.D. 1789-1800, late Edo period)
About 230 years ago

Hacho (Edge length) 54.2㎝
Curvature approx.1.21cm
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx.2.97㎝
Saki-haba (Width at Kissaki) approx. 2.27cm
Kasane (Thickness) approx.0.76㎝
Gold foil single Habaki / Shirasaya

Koshi kizami shu kawari nuri saya,
wakizashi koshirae
Whole length approx. 74.8cm
Hilt length approx. 17.3cm

Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK

Price 550,000 JPY

 祐平は長舩源五郎祐定の子で名を横山覚治という。元禄以降の天下泰平の影響で刀の需要が減少し、江戸後期の祐定家も停滞していた。ところがその世情を破るように水心子正秀が登場。その復古刀の機運に触発された祐平は一念発起し、天明四年に相州伝の優技と高い人格で敬愛された薩摩元平門で修業(注①)して帰国。寛政二年十二月十八日には伊勢守を受領し、備前刀復活の狼煙を上げたのであった(注②)。
 この脇差は伊勢守受領直後の作と鑑られ、地刃溌溂たる一振。身幅広く両区深く重ね厚く、腰反り高く付いて中鋒の美しい姿。無類に詰んだ小板目鍛えの地鉄は細かな地景が入り、清浄な地沸が微塵に付いて鉄色が晴れやか。刃文は段々に三つ連れた互の目に尖りごころの刃、浅い湾れを配して高低変化する構成に飛焼が掛かり、純白の小沸で刃縁明るく、匂で澄んだ刃中には足、葉が入る。帽子は焼を深く残し、沸付いて小丸、長めに返る。太鑚で刻された銘字は鑚枕が立って鮮明。全体の刃文構成は大坂新刀の津田越前守助廣を想わせ、尖りごころの互の目が向き合って蟹ノ爪形となる態が遠祖与三左衛門祐定を偲ばせる、父祖の技に新趣を入れての意欲作となっている。
 花尽図金具と、縁起の良い末広がり図鐺で装われた腰刻朱変り塗鞘脇差拵が付されている。

注① 「於薩陽士奥元平宅造之」と添銘のある天明四年甲辰二月日紀の相州伝の刀がある(第二十四回重要刀剣)。

注② 祐平の長男は七兵衛尉祐定家を継ぎ、その養子が祐包。次男は丁子刃の名手加賀介祐永である。祐平の年の離れた弟源五郎は丁子刃の名手祐直(『長舩町史刀剣編史料』『新刀銘集録』巻四参照)。祐平の切り拓いた地平は後進に引き継がれている。

脇差 銘 横山伊勢守祐平造之 備陽長舩住人脇差 銘 横山伊勢守祐平造之 備陽長舩住人脇差 銘 横山伊勢守祐平造之 備陽長舩住人 白鞘

腰刻朱変り塗鞘脇差拵入 脇差 銘 横山伊勢守祐平造之 備陽長舩住人 腰刻朱変り塗鞘脇差拵入 脇差 銘 横山伊勢守祐平造之 備陽長舩住人 

脇差 銘 横山伊勢守祐平造之 備陽長舩住人差表切先脇差 銘 横山伊勢守祐平造之 備陽長舩住人 差表中央脇差 銘 横山伊勢守祐平造之 備陽長舩住人 差表ハバキ上

脇差 銘 横山伊勢守祐平造之 備陽長舩住人 差裏切先脇差 銘 横山伊勢守祐平造之 備陽長舩住人 差裏中央脇差 銘 横山伊勢守祐平造之 備陽長舩住人 差裏ハバキ上

牡丹に蝶図鐔 無銘

牡丹に蝶図鐔 無銘

菊水図縁頭

菊水図小柄

梅花図栗形

末広がり図鐺

 

脇差 銘 横山伊勢守祐平造之 備陽長舩住人 ハバキ