脇差
銘 備州長舩家助
文安元年二月日

Wakizashi
Sig. Bishu Osafune IESUKE
Bun'an gan-nen 2 gatsujitsu


備前国 文安元年 五百七十七年前

刃長 一尺四分弱
反り 六厘半
元幅 七分九厘
棟重ね 一分六厘半
彫刻 表 棒樋丸留め
裏 棒樋掻き流し

金着一重ハバキ 白鞘付

金梨子地塗印籠刻鞘合口拵入
拵全長 一尺四寸八分五厘
柄長 三寸四分
鞘長一尺一寸三分二厘

平成二十年大阪府登録

特別保存刀剣鑑定書

Bizen province
the first year of the Bun'an era (A.D.1444, early Muromachi period)
577 years ago

Hacho (Edge length) 31.5cm
Sori (Curvature) 0.2㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) 2.4㎝
Kasane (Thickness) 0.5㎝
Engraving: "Bo-hi" maru-dome on the right face (Omote)
"Bo-hi" kaki-nagashi on the back face (Ura)

Gold foil single Habaki / Shirasaya

Kin nashi-ji nuri inro kizami saya, aikuchi koshirae
Whole length 45cm
Scabbard length 34.3cm
Hilt length 10.3cm

Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK

 家助は応永盛光・康光に匹敵する実力を誇った次郎左衛門家助に始まる名跡。『日本刀銘鑑』では応永家助の後、正長・永享の二代、文安・宝徳の三代、文明~明応の四代としている。その一方で藤代義雄氏は「応永と永享に家助があるが、これを初二代に区別するのは無理であろう」(『日本刀工辞典』)と述べている。この説に従えば応永家助と文安家助は事実上の初二代といえようか。
 この平造脇差は文安元年紀の作で、身幅重ね充分で、反り僅かにつき、棟際に刻された細樋で姿引き締まり、一見して応永備前を想わせる好姿。地鉄は小板目肌、刃寄りに柾を配して詰み、小粒の地沸厚く付いて肌潤い、直調の映りは物打付近で乱れごころとなる。刃文は肩落ち風の互の目に尖りごころの刃を交え、粒子の細かな沸がついて刃縁明るく、刃境に打ちのけ風に湯走り、小形の金線・砂流しかかり、匂足射し、刃中は匂で澄む。帽子は乱れ込み、突き上げごころに浅く返り、差裏は蝋燭の芯のような形となって応永備前風。茎も細鑚の銘字は応永家助に近似し、出来もまた同然。
 付帯する金梨子塗印籠刻鞘小さ刀拵は鐺にやや丸みがあり、浅く反って海老を想わせる形で、柄頭と鐔は銀地に立浪図で渋く黒化して重厚感があり、鞘の金色と相俟って豪華な趣。江戸期の上級武士の嗜みを伝えている(注) 。

注:鉄地の小柄・笄に金布目象嵌で施された篆書体の文字は「報國一心」「何日盡(いずれの日か尽きぬまで)」と読まれるのであろうか、所持者の心情を窺わせて興味深い。

脇差 銘 備州長舩家助 文安元年二月日脇差 銘 備州長舩家助 文安元年二月日金石目地塗印籠刻鞘合口拵 刀身 脇差 銘 備州長舩家助 文安元年二月日脇差 銘 備州長舩家助 文安元年二月日 白鞘

 

 

脇差 銘 備州長舩家助 文安元年二月日 差表切先脇差 銘 備州長舩家助 文安元年二月日 刀身差表ハバキ上

脇差 銘 備州長舩家助 文安元年二月日 刀身差裏切先脇差 銘 備州長舩家助 文安元年二月日 刀身差裏ハバキ上

小柄小柄

馬針馬針

波文図喰出鐔波文図喰出鐔

波文図頭 紗綾形文図縁

波文図喰出鐔 ハバキ