平成十三年福島県登録
将平刀匠は藤安正博と称し、昭和二十一年の生まれで、人間国宝宮入行平師の直門。昭和五十年に独立し、福島市内の立子山に鍛刀場を設けた。相州上工の作を範に作刀に励み、平成二年の新作名刀展に爪付素剣と梵字の彫刻のある相州伝の平造脇差を出品して保存協会会長賞に輝く。受賞の際、将平師は入念に構想を巡らせて作品を打ち、その作品から新たな構想が膨らんで更に作刀に励む。その積み重ねの結果生まれて来る作品への予感に身がふるえると製作の苦心と喜びを語っている。その後、個展やグループ展での作品発表、伊勢神宮式年遷宮の御神刀の製作、熱田神宮での奉納鍛錬、隕鉄刀の製作など幅広く研鑽努力し、現代刀界に大きな足跡を記している。
この刀は、相州正宗の相弟子の越中則重に私淑した一口。身幅が極めて広く、重ねを薄く仕立てて鋒を大きく延ばして反りを深くつけた南北朝時代の大太刀の大磨上刀を想わせる豪快な姿。棒樋が茎尻まで太く掻き通されて姿に張りが感じられる。地鉄は板目に大杢目が強く現れ、粒立った地沸が厚く付いて鎬寄りに淡く沸映りが立ち、則重の松皮肌のような古風な肌合いとなる。刃文はゆったりとした湾れに互の目を交え、刃縁に沸が付き、杢目肌に感応して刃境に太い金線、砂流しが激しく掛かり、刃中にも刃肌が現れて沸筋が流れ、奔放にして自然味ある働きが顕著となる。帽子は浅く湾れ込んで強く掃き掛けて浅く返る。地肌の刃寄りは黒く澄み、古い地鉄の研究の成果が顕れた佳作となっている。