脇差 筑前国 貞享 二十四歳 三百三十三年前 |
京より九州に移住して栄えた信國一門は、慶長初期に筑前宇佐に鍛冶場を構えたことにより、筑前信國と呼ばれている。その代表が備前伝を修めた初代の信国平四郎吉政。二代目を継いだのが初代の弟で、ここに紹介する吉政は平助と称し二代の子。寛文二年の生まれで、年紀作は貞享二年からみられ、後に重宗(注)と改銘している。 注…『銀座情報』一四八号に掲載。
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