脇差
銘 肥前國住人忠吉
(最上大業物)

Wakizashi
Hizen no kuni junin Taadayoshi
(Saijo O Wazamono)

肥前国 慶長二十年頃 約四百年前

刃長 一尺七寸一分二厘 Edge length; 51.9cm
反り 五分 Sori (Curveture); 1.51cm
元幅 九分一厘 Moto-haba(Width at Ha-machi); 2.78cm
先幅 六分八厘 Saki-haba (Width at Kissaki); 2.07cm
棟重ね 一分七厘
鎬重ね 二分 Kasane (Thickness); 0.62cm
彫刻 表裏 棒樋丸止 Engraving; "Bo-hi, Maru-dome" on the both sides
金着二重ハバキ 白鞘付

印籠刻黒漆塗鞘脇差拵入Inro kizami Kuro urushi nuri saya, wakizashi koshirae
拵全長 二尺三寸五分 Whole length; 71.4cm 柄長 四寸九分 Hilt length; 14.8cm

昭和二十六年島根県登録

特別保存刀剣鑑定書
Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK

  天下分け目の関ヶ原の合戦において、石田三成率いる西軍を破り政治の主導権を握ったのは徳川家康であった。だがしかし、大坂城には秀吉の遺児秀頼と母淀君がおり、豊臣恩顧の諸大名も健在。家康は江戸城普請と法制整備を進めて体制を徐々に固め、慶長二十年夏、満を持して大坂城を攻め豊臣氏を滅ぼした。この時、徳川方として活躍した佐賀の鍋島勝茂勢の刀槍を担ったのが肥前國忠吉とその精鋭刀工であった。
 掲載の脇差は、肥前國住人を冠した所謂住人忠吉銘の作。片手で打ち振るに適した寸法に棒樋丸止めとし、反り深く中鋒の端正で上品な姿。小板目鍛えの地鉄は鉄質優れて透明感があり、細かな地景が縦横に入って備中青江の縮緬肌を想起させ、小粒の地沸が厚く付いて地肌に弾力味があり、地沸が光を反射して煌いて美しい。刃文は浅い湾れに小互の目を交え、中程に尖った小さな互の目が現れるも総じて静穏で、小沸付いて刃縁明るく、刃境に湯走り掛かり、喰い違い、二重刃、小足が無数に入り、細かな沸の粒子で刃中も明るい。帽子は浅く弛み込み、表は掃き掛け、裏は突き上げごころに小丸長めに返って青江帽子の如し。茎の保存状態は良好で、太鑚で堂々と刻された八字銘に忠吉の大きな人間性が現れている。特別の注文により備中青江を念頭に精鍛されたもので、出来が優れている。黒漆塗印籠刻鞘の拵は縁頭と栗形に葵紋と丸に五つ葵車紋が据えられ、伝来(注)の良さを窺わせている。

注…昭和二十六年島根県の初年度登録であり、雲州松平家有縁のものと推考される。

脇差 銘 肥前國住人忠吉脇差 銘 肥前國住人忠吉印籠刻黒漆塗鞘脇差拵 刀身 脇差 銘 肥前國住人忠吉脇差 銘 肥前國住人忠吉 白鞘

脇差 銘 肥前國住人忠吉 切先表脇差 銘 肥前國住人忠吉 刀身中央表脇差 銘 肥前國住人忠吉 ハバキ上表


脇差 銘 肥前國住人忠吉 切先裏脇差 銘 肥前國住人忠吉 中央裏脇差 銘 肥前國住人忠吉 刀身区上差裏



脇差 銘 肥前國住人忠吉 ハバキ




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