鉄・線・文様が生み出す、信家独自の抽象美
桃山期を代表する鐔工・信家。
本作は、黒く深味ある地鉄を木瓜形に造り、
耳を打ち返し、
瓢箪唐草を繊細な毛彫で表した一枚である。
華麗な具象表現ではなく、 鉄そのものの肌、 線刻の強弱、 文様と余白によって美を成立させる。 武具としての機能と造形美が一体となった、 信家の「用の美」を味わいたい。
鐔 DATA
武具から美術へ
古典から近世への移行期に当たる桃山時代は、 戦国の世から安定の時代へと向かう大きな転換期であった。 刀剣や装剣小道具もまた、 この時代に大きく性格を変えてゆく。
本来、装剣小道具は戦場で身を護る武器を構成する実用品であり、 その装飾も、 絵画のように鑑賞そのものを目的とするものではなかった。 古くから鞘や金具に施された霊獣、 瑞鳥、 唐草、 家紋などの文様には、 所持者の守護、 安全、 長寿、 あるいは家の繁栄を願う意味が込められていた。 つまり、その美は 「見るための美」というよりも、 「身に備えるための美」であったと言える。
しかし桃山期になると、 こうした実用の中に、 次第に制作者個人の美意識や表現が現れ始める。 その大きな兆しの一つが 「銘」である。 作者が自らの名を作品に刻すことは、 単なる道具の製造者ではなく、 「制作者」 「作家」 としての意識が芽生えたことを示している。 装剣小道具はこの時代、 武器の一部でありながら、 次第に独立した芸術性を獲得し始めたのである。
三名人の中の信家
桃山期を代表する鐔工・金工として、 金家、 埋忠明壽、 信家の三名人が挙げられる。 しかし三者の表現は大きく異なっている。
金家は、 同時代の人物や風景といった現実世界を鐔の上に彫り描き、 具体的な情景を作品として成立させた。 明壽は、 後に琳派へと通じる洗練された装飾性を鐔に取り込み、 美しい文様構成によって新たな美観を示した。
これに対して信家の表現は、 より抽象的である。 唐草、 亀甲、 阿弥陀鑢、 波文など、 古くから器物に用いられてきた単純な文様を鉄地に配し、 その線、 間、 地肌そのものによって美を生み出している。 厚み、 耳の打ち返し、 鉄の肌、 線刻の配置。 それらは鐔としての機能と一体となっている。 この「用の美」こそ、 金家や明壽とは異なる 信家の大きな特質と言えるだろう。
二つの「信家」
信家は銘字の違いにより、 「放れ銘(はなれめい)」と 「太字銘(ふとじめい)」の 二つに分けられている。 前者は銘字の字間が放れ気味であること、 後者は銘字が太いことからこの呼称があり、 両者には筆致そのものにも違いが見出されている。
製作年代の詳細は明らかではないが、 『信家』の著者・伊藤満氏の研究によると、 放れ銘信家が先輩格に当たるという。 両者とも天文から永禄頃の生まれで、 放れ銘信家は元和初め頃に六十歳前後で、 太字銘信家は寛永中頃に七十五歳前後で没したと考察されている。 また、 放れ銘信家については二代の存在も考えられている。
信家の作品世界
信家は、 古くは清洲を本拠として織田信長に仕えていたと伝えられる。 後に福島正則に仕え、 その転封に従って安芸広島へ移り、 福島氏の信濃移封以降は浅野氏の工となったとも考えられている。
その作品には、 唐草、 亀甲文、 阿弥陀鑢文、 波文など、 古くから受け継がれてきた文様が繰り返し用いられている。 いずれも繁栄、 長寿、 連続性、 永遠性といった意味を秘めたものである。 信家は、 こうした古典的な文様を単なる装飾として用いたのではなく、 武家の精神性と結び付けることで 独自の表現へと高めた。
信家の作品には、 御題目文字や 「生者必滅」 「運在天具足有質屋」 といった文字彫を備えたものも遺されている。 作品の根底にあるのは、 常にこれを刀に装い、 腰に備える「武人」の存在である。 祈り、 願い、 覚悟、 そして日常の中で使われる道具としての美。 その実用性の深部に宿る死生観が、 独自の芸術性となったものである。
重厚な鉄に宿る信家の美
この鐔は、 銘字の書体から放れ銘信家の作と鑑られる。 簡潔な毛彫表現によって、 瓢箪唐草を彫り描いた一枚である。
きわめて質の良い地鉄を木瓜形に造形し、 尾張の特徴を示すように 切羽台に比較して耳際をわずかに厚手とする。 さらに耳を打ち返し、 その稜線の連なりに微妙な変化を持たせた、 重厚感に満ちた造り込みである。 焼手を施したものであろう。 鍛えた鎚の痕跡が残る地鉄の色は黒く、 錆色にも深味がある。 耳際には打ち返しによる微細な皺が自然な景色を成し、 鉄骨が力強く働いている。
瓢箪唐草に託された願い
図柄は、 稔りの秋を鮮明にする瓢箪の実と、 縦横に延びる蔓と葉を表裏にわたって毛彫したもの。 信家の典型的な意匠構成である。
瓢箪は、 たくさんの実をつけ、 蔓を多方へ延ばすことから、 子孫繁栄、 御家安泰を象徴するものとされた。 一方、 絶えることなく延びてゆく唐草文には、 長命、 連続性、 永遠性の意味が込められている。 信家は、 こうした古典的な吉祥文様を用いながら、 それを鉄地の上に簡潔な線として置き換えている。 そこに、 信家の古典に対する理解と、 独自の抽象性を見ることができる。
鉄の景色を生かす毛彫
特筆すべきは、 信家作中でも毛彫がきわめて繊細である点である。 後期の作品群の多くでは 毛彫が太く、 大模様に仕上げられている。 これに対して本作では、 細鏨の連続による線は細く、 葉の表面に施された点刻も細やかである。
時には地中へ溶け込むような線を用いながら、 垂れ下がる瓢箪が剽げている。 線刻が鉄地を覆い尽くすことはない。 むしろ、 鍛えられた地鉄そのものが生み出す景色を損なうことなく、 肌合いと毛彫とが静かに呼応している。 その穏やかな表現から、 本作は信家作中でも時代の上がる一枚と鑑られるのである。
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鑑賞のポイント
戦場から芸術へ
― 透徹した死生観が芸術へ昇華する時
信家の生きた時代は、 領地と覇権を廻って修羅が繰り広げられた戦国の世だった。 その時代にあって信家は、 常に今在る「生」、 そしてその一寸先にある「死」というものを 強く意識し続けていたのかもしれない。
彼が好んで自らの作に刻み付けた 「生者必滅」 「運在天具足有質屋」 の文字は、 透徹した眼差しで見つめ続けた死生観に他ならない。
やがて戦国の時代が収束し、 泰平の世を迎えた時――。 戦による荒々しい「死」が遠ざかっていった時代の人々の目に、 信家の鐔は一体どのように映ったのだろうか。 その作品に初めて触れた時の衝撃は、 如何ばかりであったかと想像に難くない。
そこに示されているのは、 単なる美観ではない。 生と死を見つめ続けた一人の人間の精神が、 鉄と線の中に凝縮されている。 それは、 魂を震わせるような死生観そのものが 芸術へと昇華した姿だったのではないだろうか。
解説
古典から近世への移行期に当たる芸術は、実用から装飾への変化の波を受けており、戦国時代を経て安定の時代へと移り変わる桃山期こそ、器物の背後にある装飾に多大な変化をもたらした時代に他ならない。同時代を代表する鐔工や金工として金家、埋忠明壽と共に信家が三名人に挙げられる理由は、こうした歴史の大きな転換期において優れた多くの作品を遺し、後の金工芸術の基礎を成していることと、作品に銘を刻していることに尽きよう。銘は作者のオリジナリティを示すもので、金工に「制作者・作家」という意識が芽生えたことを意味している。「制作者・作家」という意識は、作者個人、即ち作品の芸術性を裏付けるもので、単に道具の製造を指すものではない。
絵画に比較して、装剣小道具における芸術性の発生は遅かったと言わざるを得ない。装剣小道具の装飾を言い極めると、絵画における鑑賞(心の開放・精神的な高揚・思想の展開)という用途とはかけ離れたもので、単純な器物の文様に徹し、装飾性について言うなら家紋という所持者を特定する特殊な文様によって個が示されていた点であろう。古くから鞘に施されていた霊獣や瑞鳥図あるいは唐草などの文様は、その拵を鑑賞するためのものではなく、所持者の守護や安全、長寿を願う意味があった。装剣小道具の装飾が絵画芸術と異なるのは、戦場で身を護る武器であるという実用性が根本的に備わっていたからと断じ得よう。
金家は同時代の現実の風景に取材して鐔に彫り描いた。明壽は後に琳派と呼ばれる美観を文様として鐔に施した。さて、信家の遺されている作品を俯瞰すると、地文様が背後にあることに気付く。古代から我が国に普遍的に存在した唐草や亀甲などを下地とする多様な文様を、鉄地に毛彫という比較的簡素な技法を以て表しているのである。信家のこの点が、古典から近世への移行期において変化の過程を示しているもので、その特殊性と、流れが窺いとれるところである。
信家は銘字の違いにより、放れ銘と太字銘の二つに分けられている。それぞれ、銘字の字間が放れ気味であること、銘字が太いことでこの呼称があるも、両者には筆致の違いも見出されている。製作の年代は詳らかではないが、『信家』の著者伊藤満氏の研究によると、放れ銘信家が先輩格に当たり、両者とも天文から永禄頃の生まれで、放れ銘信家は元和はじめ頃に六十歳前後で、太字銘信家は寛永中頃に七十五歳前後で没している。また、放れ銘信家二代の存在も考察されている。
信家は、古くは清洲を本拠として信長に仕えていたと伝え、後に福島正則に仕えてその転封に従って安芸広島に移り、福島氏の信濃移封以降は浅野氏の工となったとも考えられている。
この鐔は、銘字の書体から放れ銘信家の作で、簡潔な毛彫表現になる瓢箪唐草を簡潔に彫り描いた図。きわめて質の良い地鉄を木瓜形に造形し、尾張の特徴を示すように切羽台に比較して耳際をわずかな厚手とし、耳を打ち返してその稜線の連なりに微妙な変化を持たせた、重厚感に満ちた造り込み。焼手を施したものであろう、鍛えた鎚の痕跡が残る地鉄の色は黒く、錆色も深味があって信家作中でも時代の上がる要素を備えている。耳際には打ち返しによる微細な皺が自然な景色を成し、鉄骨が力強く働いている。
図柄は稔りの秋を鮮明にする瓢箪の実と、縦横に延びる蔓と葉を表裏にわたって毛彫した、信家の典型的な意匠構成。瓢箪は瓜と同様にたくさんの実をつけることから、あるいは蔓先を多方に延ばすことから子孫繁栄、御家安泰を、唐草文はまた長命を意味する図として古くから尊ばれていたもので、文様として好まれ様々な器物に施されていた。ここに信家の古典に通じる一面が顔を出しており、作品群の特質ともなっている。因みに、信家の作品の地文や文様として刻された図は、唐草の他に亀甲文、阿弥陀鑢文、波文などが多く、いずれも繁栄、長寿、連続性、永遠性といった意味合いを秘めている。
特筆すべきは、信家作中でも毛彫が繊細である点。後期の作品群の多くは毛彫が太く大模様に仕上げられているが、本作は、細鏨の連続と葉の表面の点刻も細やかに、時には地中に溶け込むような線で、垂れ下がる瓢箪が剽げている。鉄地が生み出している景色を損なうことなく、肌合いと線刻とが同調し合って穏やかな景色を造りだしている。この点からも、信家作中では時代の上がる一枚と鑑られるのである。
人の願いを暗示する古典的で簡潔な文様から、次第に線刻に変化と造形を見出し、新たでしかも多様な図柄を毛彫表現した信家だが、御題目文字や「生者必滅」「運在天具足有質屋」の文字彫があるように、単に美観だけでなく、作品の根底にはこれを腰に備える「人」の存在が意識され続けていたのであった。
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