古名刀の風格を伝える一振
よく詰んだ板目に杢・流れごころの肌を交え、密な地景と微塵の地沸が潤いを生む。直刃調の焼刃には金線・砂流し・湯走りが頻繁に現れ、古刀ならではの多彩な景色を見せる。
刀身・拵 DATA
古千手院を思わせる、端正な太刀姿
「千手院」とは何か?
個名を刻む例はごく稀
『観智院本銘盡』には重弘以下、金王、重利、行延、力王、瀧、國介、兼林などの刀工名が記される。一方、現存作には「千手院」とのみ銘するもの、また無銘のものが多い。
— 『日本刀大鑑 古刀篇一』
DETAIL IMAGE微塵の地沸が降り積もる
淡雪のような沸が煌めく
刀身ギャラリー
八百年の歳月を伝える茎
尾張徳川家に伝来した由緒
Sayagaki「三條小鍛冶宗近」として伝来
DETAIL / YU-BASHIRI秋の夜長を思わせる美意匠
この一振の見どころ
古名刀ならではの魅力
古調で伸びやかな姿、詰んだ地鉄に密に入る地景、淡雪のような沸が煌めく焼刃、そして八百年の歳月を感じさせる茎。
そこには、後世の刀では容易に再現できない「古刀の時間」が刻まれている。
さらに尾張徳川家旧蔵という伝来と、かつて「三條小鍛冶宗近」として扱われた歴史が加わることで、本刀は一振の日本刀であると同時に、日本刀が歩んできた歴史そのものを感じさせる資料となっている。
解説
古調で典雅な姿の太刀。千手院(せんじゅいん)の作と鑑定されている。大和国の最も古い鍛冶集団である千手院の呼称は、千手観音を祀る千手堂があった奈良若草山麓の千手谷に居住したことに由来すると云う。千手院系図(国立国会図書館蔵『観智院本銘盡(かんちいんぼんめいづくし)』)には、重弘以下、金王、重利、行延、力王、瀧、國介、兼林等の刀工名が記されている。だが、東大寺に仕えた故であろうか、今日経眼する作は東京国立博物館蔵の重要美術品の太刀のように「千手院」とのみ銘するか、もしくは「個名を刻む事例はごく稀」(『日本刀大鑑古刀篇一』)とあるように多くが無銘である(注②)。
表題の太刀は僅かに磨上ながら殆ど生ぶで、元来無銘。大和物らしく鎬がやや高く、腰反り高く小鋒に結び、鎌倉初期を降らないとされる東京国立博物館の千手院の太刀と全く同趣の美しい姿。地鉄は良く詰んだ板目に杢肌と流れごころの肌を交え、地景が密に入り、微塵の地沸が降り積もって潤いのある肌合いとなり、刃寄りに澄んだ沸映りが立つ。浅い湾れを交えた直刃調の刃文は、処々に小乱状の小互の目を伴い、淡雪のような沸が付いて煌めき、刃境に金線、砂流し、湯走りが頻りに掛かって処々二重刃となり、沸付いた刃中は青みを帯びて冴える。帽子も沸付いて焼詰ごころに浅く返る。小さくまとまることなく鷹揚にして多彩な焼刃の変化は、後世の作の及ぶところではなく、古名刀ならではの魅力に満ちている。錆味濃い茎は遠く八百年の時代を感じさせ、轆轤鑚で表裏から穿たれた生ぶの目釘穴は殊に古色横溢。幕政期は「一条院御宇」(『観智院本銘盡』)とされる「三條小鍛冶宗近(注③)刀」(売立目録)として尾張徳川家に伝来した一振。御堂関白道長の時代、酒呑童子を退治して勇名を馳せた源頼光有縁の名刀として秘蔵されていたものであろうか。
秋の夜長、草の陰で鳴く鈴虫図金具で装われた、綺麗な打刀拵が付されている。(商品番号1758)
注① 田野邉探山師の鞘書には「尾刕徳川家舊蔵刀而同家ノ整理番號ハ智一ノ拾貮也 珍重」とある。
注② 平安後期とされる古千手院の太刀(第八回特別重要刀剣、『銀座情報』三〇六号掲載)も、生ぶ茎無銘である。
注③ 佩表中程よりやや上に現れた弦月状の湯走りを捉え、東京国立博物館所蔵の「三日月宗近」を連想したものと考えられる。
押形ほか