陸奥国 南北朝初期暦応頃
刃長 二尺三寸九分
反り 五分
元幅 九分五厘半
先幅 六分五厘
棟重ね 二分
鎬重ね 二分二厘
金色絵二重ハバキ 白鞘入
鞘書「拝領宝壽 代金七枚」
附享保元年本阿彌光忠折紙
「寶壽 代金子七枚」
昭和二十六年神奈川県登録
特別保存刀剣
(寶壽)
3,000,000 円
(Item number: 1745)
Mutsu province
Around A.D.1338-1342 (Ryakuo era, early Nanbokucho period)
Hacho (Edge length) : 72.42 cm
Sori (Curvature) : Approx. 1.51 cm
Moto-haba (Width at Ha-machi) : Approx. 2.89 cm
Saki-haba (Width at Kissaki) : Approx. 1.97 cm
Mune-Kasane (Thickness) : Approx. 0.61 cm
Shinogi-Kasane (Thickness) : Approx. 0.67 cm
Gold-plating double habaki
Calligraphy on the Shirasaya
"Hairyo Hoju, Valued at seven gold pieces.”
Hon'ami Kōchū origami "Hoju, Valued at seven gold pieces.”
Tokubetsu-Hozon
(Hoju)
3,000,000 JPY
陸奥国は金や名馬の他諸物産に恵まれた肥沃な地であった。同国の支配を巡り、かつて坂上田村麻呂や八幡太郎義家等の名将が躍動し、奥州藤原三代の時代には独自の文化圏が形成された。陸奥一関の舞草と共に、奥州武士の為に鎚を振るったのが寶壽(ほうじゅ)。その作には、強い肌を交えて黒みを帯びた地鉄に、匂口やや沈んだ小乱刃を焼いた、地方色濃厚な太刀(静嘉堂蔵 重要文化財)がある一方、働きが豊富で垢抜けた作風の享保七年本阿彌光忠折紙付きの刀(第四十四回重要刀剣)もある。草創期の武士の歴史と共にあった寶壽は、その匠名が延命長壽を連想させるところから武家に好まれ、高位の武家間で献上あるいは下賜され、また家の守刀として愛蔵されたのである(注①)。
表題の刀は、数々の名刀に折紙を付した本阿彌光忠が享保七年に寶壽と極めた一刀。元来は三尺近い長さがあったとみられ、磨り上げられて尚鎬筋が張り、刃肉も充分にて手持ち重く貫禄がある。板目に流れごころの肌を交えた地鉄は鎬地まで同じ鍛えとされて古色が強く、太い地景が入って肌起つも鍛着は緻密。厚く付いた地沸が精美に輝き、淡く黒味を帯びた地肌は滓立つことなく瑞々しく潤う。直刃の刃文は、刃縁に明るい沸の粒子が密集し、鍛え肌に感応して刃境に湯走り、金線、砂流しが掛かり、ほつれ、喰い違い、打ちのけ、二重刃が現れて繊細かつ豊かに変化し、匂の立ち込めた刃中は水色に澄む。帽子は僅かに掃き掛けて小丸に返る。地刃の働きは豊富ながら過ぎることなく穏やかである。茎の磨上は本阿彌家によるものであろう、茎尻は一文字に仕立てられ、細かな横鑢が丁寧に掛けられている。南北朝初期の作とみられ(注②)、大身の武家の蔵刀に相応しい品格の高さを備えた、寶壽極めの傑作となっている(商品番号1745)
注①…佐賀藩主鍋島重茂が宝暦十一年二月十五日御国下がりの際、将軍家治より寶壽の刀を下賜されている(『寛政重修諸家譜』)。また『徳川実紀』にも寶壽の献上・下賜の記述が散見する。
注②…『銀座情報』百号に掲載の暦應三年庚辰紀の長巻直脇差に作風が通じるものがある。