薙刀 銘 奉納 大慶直胤(花押)

磨加藤清蔵敬重 天保七申ノ十一月吉日[刻印 シナノ]

怠たらす歩をはこへいなり山結ふ誓は神や守らん



 

出羽国 - 武蔵国 天保七
五十八歳作

刃長 一尺九分五厘(33.2cm)
反り 四分五厘 
元幅 八分七厘
ふくら幅 九分九厘
棟重ね 一分八厘
鎬重ね 一分七厘
彫刻 表裏 薙刀樋・細樋

石原俊輝氏旧蔵

薙刀 銘 奉納 大慶直胤[刻印 シナノ] 全身薙刀 銘 奉納 大慶直胤[刻印 シナノ] 全身

 

薙刀 銘 奉納 大慶直胤[刻印 シナノ] ふくら部分

薙刀 銘 奉納 大慶直胤[刻印 シナノ] 薙刀樋

薙刀 銘 奉納 大慶直胤[刻印 シナノ] ふくら部分

薙刀 銘 奉納 大慶直胤[刻印 シナノ] 薙刀樋

薙刀 銘 奉納 大慶直胤[刻印 シナノ] ハバキ

 

 

直胤押形

 大慶直胤(たいけい なおたね)は出羽国山形の出身。寛政十年頃に江戸の水心子正秀に入門して業を積み、師風に独創を加味して備前、相州両伝に長けた名工である。直胤が諸国を旅し、滞在先で作刀して茎に地名を刻したことは余りにも有名。例えば天保二年九月には、門人の北司正次と二王直邦、研師安達定十郎、留三郎等と伊豆韮山代官の江川太郎左衛門邸に滞在しているが、ここで鍛造した伊豆山権現、三島大社、箱根神社への奉納刀の茎に「イツ(伊豆)」と刻印を施している。その後、伊勢へと足を延ばす途中の浜松でも鍛刀して「エンシウ(遠州)」、目的地伊勢では伊勢神宮奉納刀を打ち「イセ(伊勢)」と刻している。
 茎に深々と「シナノ(注①)(信濃)」と刻印された表題の薙刀は、天保七年十一月に真田幸貫侯の招きで松代城下を訪れた時の作。小振りながらふくら幅が広く適度な反りが付いて張りのある力強い姿。小板目鍛えの地鉄は、地景によって強調された流れごころの肌を交えて躍動感があり、微塵の地沸が全面を覆って淡い沸映りが立つ。刃区上焼落しから始まる浅い湾れに互の目を交えた刃文は、地に突き入る互の目、地に煙り込むような互の目、さらに飛焼を伴って不定形に乱れ、帽子も掃き掛けて焼き詰めとなる。刃境には湯走り、金線、砂流しが働き、沸付いて明るい刃中には太い沸足が入る。濃密な沸が煌めいて茫洋たる風情を呈する焼刃は相州正宗を想わせ、直胤得意の相州伝の作域が展開されている。下半に銑鋤鑢(せんすきやすり)が掛けられた茎は、化粧鑢の付く筋違鑢で丁寧に仕上げられ、総体に錆が浅く今尚鑢目が白く輝き、手触りも良い。茎端部には覚えの鏨が刻されている。
 流麗な書体で記された「怠らず歩(あゆみ)をはこ(運)べいなり(稲荷)山 結ぶ誓は神や守らん」は直胤自作の和歌。直胤は、雄略天皇の時代に創建されて地元の尊崇が篤い治田神社(千曲川沿いの宿場町稲荷山(注②))を訪ねて自作の薙刀を奉納し、一層の精進を神に誓ったものであろう。目釘穴がない(注③)のは神へ手向けたことによる。同郷の刀工直胤を愛し、清麿の収集でも知られ、信濃毎日新聞と信越放送社長を兼任した愛刀家、石原俊輝氏秘蔵の逸品である(注④)。
(商品番号 1706)

注①…天保七年紀の平造脇差で、「南無仏のこゑをたのみにはるばると善光寺に参るうれしさ」と和歌が刻された作は特に有名。
注②…現長野県千曲市大字稲荷山。
注③…慶長頃、越前康継初代が熱田神宮に参篭して精鍛し、同神宮に納めた脇差にも目釘穴はない。
注④…石原俊輝氏は山形県の出身。同氏名義で昭和三十四年に発行された特別貴重刀剣認定書が附帯している。

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