山城国 慶長七、八年頃
刃長 二尺一寸五分五厘
反り 三分六厘
元幅 九分二厘半
先幅 六分二厘強
棟重ね 一分六厘半
鎬重ね 二分
金着二重ハバキ 白鞘入
佐藤寒山博士鞘書「二字在銘直刃也」
田野邉道宏先生鞘書(注①)
令和五年東京都登録
特別保存
4,000,000 円
Yamashiro province
Keicho 7~8 (A.D.1602~3, early Edo period)
Hacho (Edge length) : 65.3cm
Sori (Curvature) : Approx. 1.09cm
Moto-haba (Width at Ha-machi) : Approcx.2.8cm
Saki-haba (Width at Kissaki) : Approx. 1.88cm
Kasane (Thickness) : Approx. 0.61cm
Gold foil double Habaki
Calligraphy on the wooden case (Shirasaya),
written by Dr. Sato Kanzan
and Master Tanobe Michihiro
Tokubetsu-Hozon
4,000,000 JPY
堀川國廣は日向国阿屋郷古屋の修験鍛冶の出。主家の飫肥伊東氏が天正初年に薩摩島津氏に敗れて没落したことから、國廣は故国を去り諸国行脚の修業の旅に出ている。その途上、関東の足利にも滞在して作刀したことは余りにも有名(注②)。また文禄三年には石田三成の検地に同行し、日向にも下ったと伝える。長く広範囲にわたる旅の途上で國廣は多くの武将に出会い、また諸国の刀工や人々とも交流している。國廣の生涯は、技術と人格を錬磨する旅であった。
この刀は元来二尺四寸半程の長寸であったが、素早い抜刀を宗とする武士の需で三寸程磨り上げられたもの。茎先に残された大振りの二字銘は國の字の第二画が角張る「肩落銘」で、製作は慶長七、八年頃とみられる。身幅と反りを控え目にしながらも鎬筋が凛と立ち、中鋒の洗練味ある姿。板目に大きめの杢を交えた地鉄は小粒の地沸が厚く付き、強く輝いて鉄色が明るく、細やかで複雑な地景により肌模様が鮮明に起ち現れ、温潤味と弾力感のある國廣らしい地肌(注③)となる。中直刃の刃文はごく浅く湾れ、帽子は焼を充分に残し、乱れ込んで小丸に返る。昂然と輝く刃縁の沸は刃中に溶け込むように広がって匂幅広く、その一部が雪の叢消えの風情を成し、相州正宗を想起させる。刃境から沸付いて明るい刃中に及ぶ躍動的な金線や、幾重にも流れる淡い砂流しなどの変幻なる様子は、作為を超えた見飽きない自然の働きである。大らかで放胆な地刃に國廣の優れた技量と人柄が示された、滋味格別の優刀となっている。
注①…鑑定家。元刀剣博物館副館長。鞘書に「本刀古作相刕行光写而出来傑候 殊ニ地景金筋ノ働見事也 珍重」とある。
注②…天正十八年足利学校で、武将長尾顕長の為に山姥切長義写の刀を打った。
注③…古来「ざんぐり」と表現されている。