銘 山城守藤原國次
寛文六暦丙午九月吉日

Katana: Signed. Yamashiro no kami Fujiwara no KUNITSUGU
Kanbun 6 reki Hinoe Uma 9 gatsu kichijitsu

越前国‐武蔵国 寛文六

刃長 二尺三寸八分九厘
反り 四分二厘
元幅 一寸二厘
先幅 六分七厘
棟重ね 二分二厘
鎬重ね 二分一厘

金着一重ハバキ 白鞘入

昭和二十六年東京都登録

特別保存刀剣鑑定書
1,000,000 円

Echizen province - Musashi province
Kanbun 6 (A.D.1666, early Edo period)

Hacho (Edge length) 72.4cm
Sori (Curvature): Approx. 1.27cm
Moto-haba (width at Ha-machi): Approx. 3.09cm
Saki-haba (width at Kissaki): Approx. 2.03cm
Kasane (thickness): Approx. 0.67cm
Gold foil single Habaki
Wooden case (Shirasaya)

Tokubetsu-Hozon
1,000,000 JPY

 山城守國次は江戸前期の越前刀工。同国は大御所家康から康の字と葵紋を拝領した康継、勅許の菊紋を刻した山城守國清等を筆頭に多くの刀工が技を競った刀剣王国で、國次もその一人。大和大掾正則の子と伝える江戸初期の國次が初代で、寛永六年に山城大掾を受領した二代、寛文元年に山城大掾を受領した後、山城守に転じた三代と続いた。國次には「於武州江戸一之胴土段拂((ぶしゅうえどにおいていちのどうどだんばらい))」の截断銘が入れられた慶安元年紀の刀(第二十八回重要刀剣)があることから、康継同様、江戸にも鍛冶場を構えていたことがわかる。
 この刀は製作年紀のある貴重な作例で、おそらくは江戸打。身幅が広く重ねが厚く、二尺四寸弱の長さで、反り控え目に中鋒の伸びた洗練味のある姿は江戸武士好み(注①)。地鉄は鎬地に柾目肌が強く流れ、平地は板目に柾を交えて肌立ち、地景が入り、沸が厚く付いて沸映りが立つ。刃文は直刃が自然に揺れ、厚く付いた沸で刃縁が明るく、細かな金線と砂流しが密に働き、刃先に向かって小足が無数に入り、切り裂いた奉書紙の断面にも似た匂口は宛ら越前康継。清浄な匂が立ち込めた刃中も澄明。帽子は沸付いて小丸に返り、棟を焼く。謹直な銘字、入念な裏年紀から特別の注文作(注②)なるは明らか。武士の都江戸で虎徹や大和守安定、法城寺正弘、そして越前康継等の優工と切磋琢磨した國次の、出来の優れた一刀である。

注①…寛文新刀の反りの浅い造り込みに関しては、剣道の突技を根拠とするのが刀界の通説であったが、近年、刀姿の流行であった事実が明らかにされている(尾脇秀和著『刀の明治維新「帯刀」は武士の特権か?』吉川弘文館参照)。 注②…大名家の蔵刀であったものであろう。東京都初年度(昭和二十六年三月)登録で番号も早い。