武田信玄所持
立菖蒲透図鐔 無銘 応仁

室町時代

鉄地丸形点象嵌陰透
縦69.7mm 横68.8mm 切羽台厚さ3.5mm

佐藤寒山博士箱書

 

  「風林火山」の旗印で知られる戦国武将、武田信玄(大永元~元亀四)の所持と伝える鐔。東京国立博物館に勤務されていた佐藤寒山博士が膨大な資料の中から見出され、研究の後に箱書をされた応仁鐔である。
 応仁鐔とは、室町時代中期応仁頃以降の製作とされている、点象嵌と線象嵌、さらに簡略化された文様風の透かしの組み合わせになる真鍮装飾が施された鉄鐔のこと。鉄質から甲冑師鐔にも紛れる風合いを備えている点で、時代の上がる甲冑師鐔や刀匠鐔から次第に装飾性に工夫が加えられて平安城象嵌鐔へと進化する過程の産物であろうと推考されている。
 室町時代、刀の装具は太刀拵から打刀拵へと大きく変わっている。腰帯に固定する腰刀は安定感があることから徒歩戦の常用武具として重宝され、以降の主たる備えへと広がっていった。この動きは徒歩戦を専らとする下級武士にとどまらず、高級武将の備えとしても定着し、それに伴って打刀拵の装飾も見直されたようだ。
 太刀金具に比較して打刀拵の金具は簡素な仕立てである。拵総体が簡素な構造となるに伴い、鐔も素朴な刀匠鐔、構造的に強度を高めた甲冑師鐔が用いられるようになった。鐔の装飾においては、腕抜き緒の通し穴とされた簡潔な小透かしに始まり、次第に家紋や図案風へと発展し、一方で図柄を陽に表現してその周囲を透かし去る金山や正阿弥、尾張など鉄地透かし鐔の隆盛に至る。
 甲冑師鐔を基礎とする鐔の流れをみると、浅い鋤彫によって大胆な文様を浮かび上がらせた鎌倉鐔も室町時代に興った装飾鐔の一つ。鎌倉鐔の装飾の特徴の一つに、透かし文様の縁取りがある。
 応仁鐔の透かし周囲に施されている線象嵌がこれに類する装飾であることから、この頃の特徴とも考えられる。
 表題の鐔は、簡素な装飾技法から応仁鐔でも初期の作。二尺前後の片手打ちの刀、あるいは太刀の添え差しとされた脇差に装着されていたものであろう、小振りで薄手の仕立て。カランと乾いた響音を呈する鍛え強い鉄地を簡潔な丸形に仕立てた、腰に帯びて障りのない実戦具。五百年を経て切羽台周辺の線象嵌が脱落している。
 さて、応仁鐔やその後の平安城象嵌鐔に象嵌されている金属は専ら黄銅(おうどう 真鍮)である。黄銅は色合いが金に似ていることから装飾金属として好まれ、特に仏具に用いられていた。鮮やかで明るい金に比較して素朴な風合いを呈する黄銅の魅力は、宣徳金(せんとくがね)と呼ばれる素材からなる器物でも知ることができ、またその歴史を知ることができよう。
 因みに現代の真鍮は銅と亜鉛の合金である。銅の融点は一〇八五度Cだが、亜鉛の沸点は九〇七度C。銅が熔ける以前の低温で亜鉛が蒸発してしまうことから、両金属の合金製作は極めて難しいものであった。そのため、古くは天然に産出する黄銅が器物の材料にされていた。ところが我が国での天然の黄銅は産出が少なく、宣徳金と呼ばれるような、明との貿易によって得られた貨幣や器物を鋳つぶして用いられていた。それが故に、黄銅は金ほどではないが高価であった。  室町時代は、能楽に代表される北山文化や、茶の湯、連歌、生け花などの進化が見られた東山文化のように、我が国独自の美意識の活性によって特徴付けられている。作刀においては既に平安末期から鎌倉時代にかけて独自の湾刀を生み出した我が国であったが、室町時代にはさらに拵においても日本的な造形や装飾が採り入れられたと考えられる。その一つが打刀の拵であると捉えれば、使用上の進化と並走するように、殊に鐔の装飾性が高まったことは容易に理解ができる。
 応仁鐔の呼称は近代のもので、応仁の年号とは直接の関係はない。応仁以降の戦国 動乱の時代の作と広く考えれば疑念は浮かばない。戦場を駆け巡る下級武士さえも個性を見出し、自らの剣術に適した装具を考案するとまではいかないまでも、自己の存在意義や理念、信仰などを装飾に付加することが広まってきた時代の作である。家紋を文様として透かした鐔があるのが良い例であろう。武士が己の存在を強くアピールするために、変り兜を装着したり、奇抜な具足や陣羽織を装着した桃山時代に至る、その一段階が応仁鐔であると捉え、戦国動乱の時代へと突き進む武士の意識の移り変わりを鐔から窺いとりたい。
 武田信玄がこの鐔を自らの拵に装着した経緯は不明である。しかし、大波のような時代の動きを察知した戦国武将の象徴たる存在が、この時代を象徴する鐔を実戦具に採り入れたことは、室町時代を考える上で大いに役立つであろう。
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佐藤寒山…本名佐藤貫一(明治四十年~昭和五十三年)。本間薫山博士と共に、戦後の我が国を代表する刀剣研究家。昭和二十二年より同四十四年まで東京国立博物館に勤務。越前康継を研究し、昭和三十五年に『御紋康継の研究』で博士号を取得。後に日本美術刀剣保存協会の専務理事と刀剣博物館副館長を兼務し、半生を日本刀の研究と保存、文化的理解を深めるための活動に費やされた。現在、協会の入口には銅像が建てられている。本作の箱書は、博士号を取得された年に書かれたもので、確かな資料を元に記されたものである。

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