播磨国 明和頃 約二百六十年前
刃長 二尺一寸二厘(63.7cm)
反り 七分二厘
元幅 八分二厘
先幅六分六厘
鎬重ね 二分二厘
棟重ね 二分四厘
黒漆塗鞘太刀拵入
拵全長 三尺三分
柄長 六寸八分
姫路藩主酒井忠恭(ただずみ)は名門酒井雅楽頭(うたのかみ)家(注①)の当主。享保十六年二十二歳で上州前橋藩十五万石を継ぎ、吉宗の子九代将軍家重に老中首座として仕え、寛延二年にこれを退くと溜の間詰格(老中の上の幕政相談役)となり、同年播州姫路藩主に転じた。忠恭は和歌、俳諧、絵画(注②)にも通じた才智英邁の君主。転封直後に台風の被害甚大な姫路を自ら検分して救済に尽力し、また藩政改革にも積極的に取り組んで成果を上げた、蓋し名君である。
「武門之暇造之(ぶもんのいとまにこれをつくる)」と謹直な書体で添銘された本作は、忠恭が鍛刀の師丹治秋弘(注③)の指導で打ち上げた一振(注④)。古作を手本としたものであろう反り高く中鋒の優美な姿。小板目鍛えの地鉄は詰み澄み、浅い湾れに互の目を交えた刃文を焼き、帽子は沸付いて小丸に返る。焼刃は新雪のような沸が厚く付いて刃縁の光が強く、金線と砂流しが僅かに掛かり、明るく沸付いた刃中には太い足が入る。また、本作は物打に刃こぼれがあり、忠恭自らが堅物で試したとみられる。
拵は儀式で佩用された毛抜形太刀で、酒井雅楽頭家の姫路剣片喰(ひめじけんかたばみ)紋が誇らしげに付されている。
同家は四代将軍家綱の大老を勤めた忠清(忠恭は六代孫)が将軍名代として訪問した朝廷から後鳥羽院打の菊作の太刀(重要美術品認定 『銀座情報』百六十九号)を拝領している。以来、歴代の藩主は刀への愛着が特に強く、自ら鍛刀した刀、短刀、脇差、剣などが伝来(姫路城旧蔵・現姫路市立美術館所蔵)している。本作は、智情兼備の名君佩用の歴史的一刀である(注⑤)。
注① …『三百藩藩主人名事典三』参照。
注②…才能を受け継ぎ琳派の絵師として大成した酒井抱一は忠恭の孫。
注③…丹治秋弘は上州前橋の刀工で、鎌倉武士団の丹党の末裔という。 同族に秋盈、秋房がいる。
注④…『上州刀総覧』の秋弘の刀とよく似ている。
注⑤…地刃と棟の処々に薄錆がある。
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