短刀
生ぶ茎無銘 新藤五國廣

相模国 鎌倉後期元亨頃  約七百年前

刃長 八寸六分三厘(26.2cm)
元幅 七分九厘
重ね 二分二厘半
彫刻 表 素剣
裏 梵字陰刻・二筋樋掻流し

朱潤塗三葉葵紋蒔絵鞘合口拵入
拵全長 一尺四寸三分
柄長 三寸七分

本間薫山博士鞘書  

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短刀 生ぶ茎無銘 新藤五國廣 本間薫山博士鞘書

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短刀 生ぶ茎無銘 新藤五國廣 差表切先短刀 生ぶ茎無銘 新藤五國廣 差表ハバキ上

短刀 生ぶ茎無銘 新藤五國廣 差裏切先短刀 生ぶ茎無銘 新藤五國廣 差裏ハバキ上

短刀 生ぶ茎無銘 新藤五國廣 茎

 

短刀 生ぶ茎無銘 新藤五國廣 ハバキ

新藤五國廣押形

 鎌倉幕府執権北条時頼は、建長頃に粟田口國綱、備前三郎國宗、備前一文字助真を鎌倉に呼び寄せて鍛刀させたという。この三工、就中、國綱の影響を強く受けた新藤五國光は、地景の目立つ精強な地鉄と金線が躍動する直刃出来の、相州伝と呼ばれる作風を完成させたのであった。新藤五國廣はその子で「(梵字)國廣鎌倉住人」と銘した元亨四年十月三日紀の短刀(注①)のある名手。『古刀銘盡』には「父より幅あり」「きり物とりひろけ(広げ)て大形」「中直刃を専に焼」とあって、國廣は父譲りの鍛法を発展させ、行光、正宗、貞宗等綺羅星の如き相州鍛冶に多大な影響を及ぼしたとみられる(注②)。
 この短刀は本間薫山博士が「新藤五國廣」と御鞘書された生ぶ茎無銘の一口。身広く真の棟が厚く、僅かに内に反り、表に素剣、裏に不動明王の梵字と護摩箸の彫が映えた、父國光の作に見紛う出来。小板目鍛えの地鉄は杢を交えて深く錬れて詰み、地底に地景が躍動して活力漲り、地沸が微塵に付き、沸映りが鮮明に立って鉄が冴える。得意の中直刃の刃文は、國光にもある刃区を焼き込む癖が見られ、銀砂のような沸で刃縁が明るく、刃境に湯走りが掛かって微かにほつれ、沸付いて明るい刃中には濃密な金線と砂流しが力強くも自然に働く。相州伝の魅力横溢の傑作で、力感ある姿、長めに返る小丸帽子、幅が広めの直焼刃に國廣の個性が現れ、茎も来國俊や藤四郎吉光等短刀の名手にもある振袖形とされている。
 格調高い葵紋図二所物で装われた、朱潤塗葵紋蒔絵鞘の拵に収められている。

注①…重要文化財。他に文保二季二月日の國廣鎌倉住人銘の短刀、元亨六年十二月三日の長谷部國廣作の短刀、嘉暦三年十一月廿一日の短刀がある(吉原弘道先生編『埋忠刀譜』)が、遺作は尠ない。
注②…藤代版『日本刀工辞典』には、相州刀工に廣の字を用いる工が多 いのは「國光、國廣が相州における主流であった」からとある。

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